南部回廊5: ポイペトからシエムリアプへ |
10月7日、16:30過ぎ、ポイペトでのスケジュールを終え、シエムリアプへ向かう。2年前走ったときから様子は変わらず、路面はまあまあスムーズ。5号線の南に並行する鉄道は相変わらず未稼働(写真)。
借り上げ車両と一緒にポイペトから同行してくれている日本語ガイドのTさん(男性、年齢は45歳前後?)はシエムリアプ出身で、ご両親やお兄さんたちがポルポト政権時代に殺され、日本に留学していた従兄を頼ってタイ経由で逃げ出し、日本に渡って里親に育てられたという波乱万丈の生涯の持ち主。会話のなかでいろいろ教えてもらった。アンコール遺跡が世界遺産に登録されたのは1992年だが、1998年あたりまではポルポトの残党がまだそのあたりにいてフンセン政権に抵抗し治安がまだ完全でなかった。筆者が最初にバンコクからシエムリアプを訪れたのはその年だった。そのときは民家に泊まった記憶がある。街の観光化が本格的に始動したのは2000年以降だという。今ではホテルだけでも(ゲストハウスを除き)1万5000部屋の供給があるのに対し、Tさんの推測では平均訪問客数は1日6000~7000程度だから、明らかにホテルバブルだという。観光客の筆頭は中国人、次は韓国人が多いという中国は昆明や広州から、韓国は仁川や釜山からの直行便が飛んでいるというから、やはり直行便の効果は絶大だ。
15:20ごろ、5号線と6号線ば分岐するシソポンを通過(写真)。本来なら南部回廊を実走するには右に折れてそのまま5号線を走り、バッタンバン経由でプノンペンを目指したいところだが、今回は超ハードスケジュールで3カ国をカバーするため、6号線にいったんそれてシエムリアプに泊まって飛行機でプノンペンへ飛ぶことにしている。5号線は日本の援助で何カ所か拡幅工事中で、現時点ではシソポンからプノンペンへは6号線周りのほうが速いという。拡幅工事が完了すれば、5号線が南部回廊の大動脈となるので、そちらのほうが速くなるはず。
シソポンを過ぎると交通量がかなり減った。疲れてウトウトしているうちに日が暮れて周りは真っ暗になった。18時半ごろ、シエムリエップ市の行政区域に入る。6号線の渋滞を避けるためか、筆者らのバンは手前でいったん左折してアンコール遺跡群の西側に回り込む。遠回りしながらジグザグに進む。日本語ガイドのチアさんによれば、このあたりには観光業に従事する韓国人が多く住んでいるという。確かに、韓国BBQレストランを数件見かけた。
19時ごろ、アンコール通りに面したTara Angkor Hotel に到着(写真、翌日撮影)。ネット予約で1泊1万円強。ロビーはそんなに広くはないが、コロニアル感あふれ、ゆったりしている。部屋も広くて気持ちがいい。
メンバー5人全員、疲れ切っており、外出する気力はなく、中庭のバルコニー席のあるレストランでクメール料理を食べる。コロニアルな雰囲気のなかで、ウェイターが勧めるアラカルト4品、アンコールビール数本、そして筆者のリードでワインを2本、皆でゆっくりいただいた。8時半ごろにスタートし、ダラダラとしゃべりながら、11時まで粘った。今日もとても長い1日だった。