3都市④ ビエンチャン近郊その4 |
8月24日、もう1つ日系縫製企業を訪ねた。ビエンチャン市街から北方向へ7~8km。ラオス国立大学(ドンドック)の正門出口の手前100mほどの小路(未舗装)を東へ入った突き当りに立地。以下はインタビューの概要。
社長はキャリアの前半はエンジニアリング会社に勤め中東などで仕事をしていたが、最後はタイに駐在し2年ほどして45歳で脱サラし、80年代にタイで縫製企業を創業した。その後ラオスに進出したのは1998年。タイでの人件費上昇がきっかけで移転先を探していた。当社はタイ・プラスワンの先駆け。ラオスはタイ語が通じ、タイのTV番組が見られるといった親和性が大きい。日系縫製業としてラオスに進出したのは当社が初めて。現在ではラオスに日系縫製企業が5社操業している。進出当時、ビエンチャン周辺の日系企業は3社だけだった。
当社は日本に本社をもたないので調達から生産、出荷、輸送、アフターサービスまで、すべて自分でやらなければならないので休めない。従業員は100人余り。社長夫妻のほか、若い日本人男性が最近着任して日本人は3人体制。タイ人スタッフ5人が工場敷地内の宿舎に住み込み。
生産品目は子供服およびベッド用コンフォートカバー。後者はブランド寝具の日本代理店と伝手があり、日本向けの注文を受けている。子供服はサンプル展示会などで商談をまとめ、東京方面に出荷している。ブランド寝具は委託先を当社と中国の2ケ所もっているが、中国の委託先はB級品率が高い。当社のB級品率はゼロに近いが、それが当たり前だと思っていたら、中国の委託先は品質が不安定なため、当社は多少出荷価格を高くしても信頼性で相殺できる。
部材の仕入れ先はタイと中国がメインだが、ブランド寝具の布地はイタリアのプリント工場もしくはそこが委託先を設立したバーレーンから仕入れている。これらはレムチャバン港から保税扱いで輸送している。製品は100%日本向けに輸出。出荷頻度は注文次第なので不定期。その他の部材はタイから陸送している。輸送費用・手数料は高い。ノンカイで輸出手続き、第1友好橋を渡り、タナレン税関で貨物を降ろし、免税扱いで通関。自社トラックがタナレンまで荷物を取りに行く。ないので、輸送コストが高くなる。
ワーカー(大半が小中卒)の生産性はタイの半分程度か。「1を言って10わかる」日本人感覚は通用せず、我慢が必要。中間管理職層が足りないし、なかなか育たない。そういう人材はタイへ流出してしまう。人口圧力がないせいか、向上心に欠けており、必死さがない。社会主義経済下で企業家精神も育っていない。やる気を起こさせるために賃金を上げるが、まだタイと水準差がある。
ラオスの市場は大規模生産には向いておらず、中小企業しか出られない。小規模のすき間産業もしくは手作業の労働集約型で付加価値を高める方向性が必要。製造業よりもサービス、観光が向いている。日系商社はほとんどが情報収集を兼ねた駐在員事務所にとどまる。