バンコクのデモ3 |
以下ではバンコクに滞在しつつ、路上の雰囲気や現地報道(主に現地英字紙と日本語フリーペーパー)に触れながらの雑感を記録しておく。
今回の「タクシンファミリー吊し上げ」祭りの根底にあるバンコク中間層の憤りの根源を2点に絞るとすれば、1つはタクシンファミリーが政治権力を利用したビジネスで私腹を肥やしたこと、もう1つはあからさまなバラマキ政治で北部・東北部の票を間接的に「買収」し、政府財政を不安定にさせるまでに性急な所得移転を行ったことだ。第1点目の解決方法は、タクシンファミリーが政界にとどまりたいのであれば、その資産を国庫に何割か(例えば9割)返却させるというような交渉が合理的だろう。第2点目は非常に根が深い。生活水準が向上した農村世帯が感じる恩恵よりも、既得権を強奪されていると感じる既存エリート層や都市中間層の恨みのほうが強烈であろう。日本では70年代に田中角栄がやったようなことを、タクシンははるかに露骨にスピーディにやったことで、タイの上部構造が一気に攪乱されたということか。
2月3日、報道によると、反政府デモ隊の妨害行為により、全375選挙区のうち69選挙区で投票が完了できず、全投票所の1割強の約1万か所で投票が中止となったそうだ。1月26日の事前投票日に投票できなかった有権者の再投票、当日投票できなかった有権者の再投票、立候補者なしで選挙ができなかった南部の28選挙区などの問題があり、選挙管理員会は、選挙結果が確定するには4~6か月かかるというコメントだ。野党民主党は同日選挙が実施されない(そういう状況に自らが追い込んだのだが)投票結果は違憲で無効だと主張し、さらには選挙管理委員会自身が事前に今回の状況下での選挙実施を強行する権限がなく延期を政府に勧告していたという事情もあり、最終的に憲法裁判所が今回の選挙を無効とする「司法によるクーデター」もありそうだ。当面は出口の見えないまま、軍と警察は武力衝突を避けつつ、反政府派のデモ資金が尽き、政治機能麻痺による予算執行不能などで経済活動に多大な影響が出始め、バンコク市民の熱が冷め、現暫定政権と反政府グループが交渉のテーブルに着く環境に落ち着く、というのが最も現実的なシナリオか。
2月4日、バンコクポスト紙によると、総選挙の投票率は全体で約46%、与党・タイ貢献党の支持基盤である北部・東北部でも50%台の県が多かったという。野党第1党の民主党が選挙をボイコットしたことと、デモ隊による投票妨害があったことを勘案しても、与党への信認投票としての今回の選挙は投票率が低かったという論調だ。一方、反政府デモの交差点封鎖は7か所のうち勝利記念塔の交差点ともう1か所で解除し、そこのデモ隊はルンピニ公園へ移動したという。投票日が過ぎ、さすがにデモ参加者の数が減ると見込んでの対応だろう。
2月5日のバンコクポスト論説欄では、今回の政治紛争は与党・野党双方とも自己利益を追求する間に、タイ国内の富の偏在に関する根本的な改革は置き去りにされたままだと指摘されている。とくに土地改革とエネルギー分野の改革がこれまで無視されてきたとのこと。民主党の支持母体の既存エスタブリッシュメント層は、所有する土地への資産課税や相続税を免れ、石油会社の株式の大半を保有しているといわれる。土地改革は、1991~92年のアナン元首相時代に具体的なロードマップが提示されていたが、それ以降はどの政権もこの問題に触れていないという。また2001年にタイ石油公社(PTT)が上場・一部民営化されたとき、不正に少数の有力者に多数の株式が売却されたという疑惑があるらしい。富の再分配に関する政策は、どの国でも政治的地雷を扱うようなものであろうが、タイが陥っていると思われる「中進国の罠」から抜け出すには、人々が劇場型政治の熱から冷め、持続的な経済成長に必要な構造変化について議論し始めることが必要だろう。よその国のことを言うのは簡単ではあるが…。その夜、アソークの交差点を見に行くと、ステープ氏の演説が生中継されていて、集まる群衆の数は相変わらず多い。なかなかお祭りは終わりそうにない。
その後、ステープ氏が率いる反政府デモとは別に、インラック政権のアキレス腱となるイシューが浮上した。与党タイ貢献党が2011年の選挙公約の目玉としていたコメ質入れ制度(rice pledgingschemeと呼ばれている)の下でコメ農家が政府に供出したコメに対する支払が滞っている問題だ。日本語フリーペーパーの『バンコク週報』の解説によれば、コメ質入れ制度とは「政府が脱穀前の籾米を質草として受け入れ、農家が買い戻さない場合はこれを1トンあたり一定価格で買い入れる農民支援策」。質受けしたコメは政府が国内市場もしくは海外市場で販売する。同制度の開始はプレム政権下の1981年に遡る。もともとは質入れ価格を市場価格の80%としていたが、タクシン政権時に市場価格とほぼ同額となり、その後、市場価格を上回る価格設定となった。そのため農家が質入れするコメの量を増やし、しかも買い戻しをしなくなった。しかも、タクシン政権は農家ごとの質入れ上限を35万バーツとしていたが、タイ貢献党は2011年総選挙の公約で質入れ価格を1万5000バーツに引き上げることを約束し、さらに質入れ上限金額を撤廃した。このため同制度による政府支出額は2005/06収穫年度の440億バーツから2011/12年収穫年度は約3400億バーツへ膨れ上がった。2011年10月にスタートした現行のコメ質入れ制度を実施するにあたり、経済的影響が十分に検討されることはなかった。…その結果、コメ質入れ制度は大方の有識者が指摘した通り、国家財政に深刻な影響を与えることになったという。
インラック政権は2003年11月、中国政府と、中国資本によるインフラ建設参加(だったか?)と引き換えに、政府が抱えるコメ在庫の対中輸出という政府間取引に合意していたが、中国側が最近その取引をキャンセルしたという。そのため、政府は農民への支払い資金を、オークションによる売却や国内金融機関による融資など、焦って模索しているところだ。一方、コメ輸出業者らは、コメ売買の政府間契約はもともと実態のない虚偽で、中国側の声明は何もなく、契約破棄の発表は国家反汚職委員会(NationalAnti-Corruption Commission、以下NACC)に捜査を中止させることが狙いだと指摘しているそうだ。
2月6日、タイ中西部の農民グループがバンコクに出てきて、コメの売買・支払を担当する商務省の前で数千人単位の座り込みデモを行った。3月に田植えが始まる農作業に入るため、その資金が足りず、切羽詰ってきたということらしい。商務省は緊急の対策として、精米業者に金策の仲介をしてもらうという案を提示したという。つまり、精米業者が金融機関から資金を借り、それをコメ農家に支払い、のちに元本と利子を政府が返済するというもの。しかし、この付け焼刃的案に対し、各方面から、政府がそんな債務の保証をする正当性はない、あるいは金融機関がそういう案には乗って来ない、という批判がすぐに出た。商務省の不手際に対する批判も多く、政府が抱えるコメ在庫の正確な情報を公開し、倉庫をオープンし、今すぐに在庫を売却するのが先決だ、という論調が強い。その後の現地報道では、コメ質入れ制度未払い問題で農民代表と商業省の幹部が会談したが、役所側の曖昧な回答にしびれを切らした農民代表たちは会談の席を蹴って退出し、バンコクでの抗議行動を続けることになった。また政府管轄のコメ倉庫で何件も火事があり、野党民主党側は、この火事はコメ質入れ制度に絡んだ政府の不正をもみ消すための工作だと指摘している。
2月14日、コメ代金未払い問題に関し、政府貯蓄銀行(GovernmentSavings Bank, 以下GBS)が農業・農業協同組合銀行(Bank forAgriculture and Agricultural Cooperatives, 以下BAAC)へ170億バーツを融資することに合意した。この資金によって農民への負債の支払いを始めるとのこと。BAACは週あたり20~30億バーツを処理し、これによって少なくとも1か月間は農民の不満を抑えることができる見込みだという。しかし、コメ質入れ制度下でコメを供出した100万人ほどの農民への負債総額は1300億バーツにのぼる(GDPの1%に相当)というから、付け焼刃的な対応にとどまる。2月13日までに計10人の農民が支払遅延を原因として自殺している。コメ質入れ制度のおかげで安定した収入を得られると思い込み、借金して教育費などを捻出した農家が借金苦に陥っているという話のだ。確かに、政府は農家に支払いを待たせているが、農民への借金取りは支払を待ってくれないだろうから、こういう悲劇も起こりうるわけだ。
上述のBAACに対するGSBの銀行間融資に対し、GSBのバンコクの多くの支店で預金引き出しの「取りつけ騒ぎ」が起こった。GSB頭取は銀行間融資は通常の銀行間取引で融資額の使途については関知しないと事前にメディアで説明したが、その使途は明らかに破たんしたコメ質入れ制度の救済のためだと解釈され、大量の預金引き出しおよび口座解約が発生した。BAACや政府系のクルンタイ銀行(KTB)においても同様の懸念で顧客が預金引き出しに殺到した。結局、GSB頭取が辞任するという顛末となった