東西回廊ほか3: パクサンからラックサーオへ |
翌7月25日、6時前に目が覚める。あまりよく眠れなかったが、その原因はベッドに湧いていたと思われるシラミか何かだ。上下ベッドシーツの間に入れていた足が集中的に痒かったので、ベッドメイキングしてから相当日数放置され、雨期の湿気で虫がわいたのではないか。このホテルは見かけ倒しで、人手をかけないゲストハウス並みかそれ以下だ。実際、フロントの女性と、屋外レストランの男性スタッフと、従業員を2人しかまだ目撃していない。
さて、船着き場見学にこだわることにする。6:15ごろ、朝食場所を探して市街の方向へ歩く。曇り空で、またいつ雨が降り出すかわからないので、ロビーで傘を借りる。国道13号線を西へ歩き、マーケットのあたりまでくると、托鉢の若い僧侶が7人歩いていて、向かいの商店から出てきたおばさんが食べ物を配っていた(写真)。近くの寺院に属する僧侶たちだろう。
13号線沿いでバスの乗客が乗り降りする箇所に、前日見過ごした簡易食堂を見つけたので入る。そこの家族はまだ肉や野菜を刻んで仕込み作業をしているところだったのでスープ麺はまだ無理。ご主人がソーセージを焼いているところだったので、それを1本と、もち米ご飯を注文。飲み物はコーヒーといった気が利いたものがなさそうなので冷蔵庫に見つけたビアラオの缶ビールを取り出す。昨日のランチから明らかに栄養が偏っているが、腹に溜まるものさえ食べておけば体力はもつだろう。
ビアラオで朝食を胃に流し込んだ後、7:10ごろ、バス停のあたりにいるバイクに腰かけた暇そうな若者に、「Can you do motorcy?」とジェスチャー入りで聞いてみると、首を横に振り、トクトクのほうを指さすが、運転手はいない。若者が運転手のおじいさんを探してきてくれた。おじいさんは英語の理解がゼロのようなので、筆者がもっていた『歩き方』に載っている船着き場の写真を若者に見せて、「ここに行きたい」と通訳してもらうと、その若者が自分の財布から2万キープ札(約250円)を取り出して、運賃はこれだというジェスチャー。彼の仲介で何とか目的地へ行ける。
トクトクはバス停から国道13号を西へ500mほど進み、左折。200mほど先が船着き場へ入るゲートだった。また払いすぎた。位置を知っていれば歩ける距離だったが、地図なしではどうしようもなかった。
7時半頃と朝早いためか、船着き場へのゲートは閉まったままで、門番ブースには誰も詰めていない。ただし、歩行者は横から入れる。すぐ先がメコン川。ボート乗り場のスロープを下りて水面のところまで行くと、料金徴収所があり、その奥にボートがたくさん停泊している(写真)。スロープを下りる手前の赤土の側道には商店がいくつかある。時間待ちの乗客が利用するのであろう。ゲートに一番近い箇所には酒類専門らしき免税(?)店がある(写真)。ジョニ黒やジョニ赤に混じり、True Manhood, Lion King, BlackSpecialといった怪しい名前のラオス産ウィスキーも置いてある。中国産の怪しそうなウィスキーやワインもある。
8時頃になると、船着き場へバイクやトクトクが集まり始める。ゲートの奥にイミグレ施設があり、敷地に入ってみると、Paksan International Portという看板の建物のなかに、出入国管理や検疫の窓口が揃っている(写真)。ラオス人渡航者と思われる人が7~8人、手続きをしている。そこから出てきてボート乗り場へ向かう人たちの後をついていく。スロープの先の料金所では、ボートを1艘スタンバイさせている(写真)。今朝の第1便だ。
8時半ごろ、その第1便が出航。乗客は結局20人くらいか。思ったより早く人数が集まった。メコン川が右(西)から左(東)へ、かなりの速さで流れているので、ボートは舳先を上流の西側より少しだけ南に傾け、ほぼ横に流される格好で対岸へ向かう(写真)。タイ側の船着き場は500mほどの距離で、ボートは10分ほどで着いたようだ。すると、第2便のボートが料金所へ移動してスタンバイを始める。乗客もポツポツ集まり始めている。このペースなら午前中30分おきくらいにボートが出航するのではないか。タイ側からやってくるボートは見かけない。
一連のアクションを見られたので満足し、ホテル方向へ引き返す。ゲート付近は1時間前と比べて賑やかだ。近くに比較的立派なゲストハウスもある。
国道13号線へ戻ると、船着き場とわかるようなサインがない。船着き場への導入路のまっすぐ反対側が、シェンクワン方向への道路(先日の経験だと工事中の悪路だと想像される)だが、ここもシェンクワン方面というようなサインがない。こういう重要な交差点にははっきりわかる標識を設置してほしいものだ。(中略)
10時半ごろ、ホテルをチェックアウト。荷物を引きながら、2往復目となる国道13号線をまた西へ歩く。11時ごろ、バス停までさほど汗をかかずにたどり着く。チケット売り場でラックサーオ行きバスはどれかと聞くと、まだ早いので着いておらず、11時半まで待つように言われたので、ベンチに座って待つ。
11:15ごろ、チケット売り場の女性が筆者の肩をたたいて、バス停の一画に停車しているソンテウを指し、あれがラックサーオ行きだという。昨日の11時半発はきちんとしたバスだったのを見たが、今日は乗客が少ないので切り替えたのだろう。そのソンテウは現代自動車製トラック「ポーター」(ラオスでやたら多く走っている)の荷台を改造したもので、12人くらい荷台席に座れる(写真)。
11:30、定刻発車。乗客は荷台に大人10人と赤ちゃん。筆者以外は全員ラオス人。荷台の真ん中にバイクを積んでいるのが邪魔だ。そのバイクの持ち主の女性は皆より先に助手席に座っていた。なかなかずる賢い。筆者は荷台の右側の一番前に座った。運転席が邪魔で前は良く見えないが、少し隙間があって背伸びをすると前方の道路状況は見える。一方、雨が降ると、その隙間から雨水が筆者の頭や肩に降りかかって苦しめられる。
パクサンから国道13号線(国内南北縦断)と国道8号線(東西横断してベトナムと結ぶ)との分岐点ビエンカムVieng Khamまで86km。メコン川沿いの平たんな道路をソンテウは50~60kmhで走る。より速い乗用車、ピックアップトラック、バスなどには追い越される。ときどき牛やヤギの群れが立ちふさがるのでよけながら進む(写真)。
12時半ごろから30分ほど激しい雨が降り、運転席と荷台の屋根の隙間から雨水が筆者の上半身に吹き付けてくるので、その隙間をタオルハンカチで抑え続けた。この時間帯はきつかった。
13:20、ビエンカムに到着。停車して、乗客が数人入れ替わる。古めかしい自転車に乗った白人の年輩男性が乗り込んできた。自転車は運転手が屋根に担ぎ上げて縛った。このあたりを自転車で観光するポイントがあるのかどうかわからない。ビエンチャン方向から来た欧米人バックパッカーがここで下車してベトナム方向へ行く足を探しているようだが(写真)、筆者らのソンテウはすでに満車となっている。
15分後に再発車。ビエンカムから国道8号線をラックサーオまで90kmほど。分岐点の近くにはベトナム側で発着したバスも停まっている。休憩所などにベトナム語の看板が目立つ。
ここからが山道だ。ベトナムとの国境を形成するアンナン山脈へ登っていく。坂道とカーブが急に増える。横転した車も見られる(写真)。切り立ったカルスト地形の山々が見える。地図を単純に見ると、8号線沿いがベトナム、ラオスともに最も細い「首」の部分になっていて、ベトナム沿岸部からタイ領土まで、このルートが東西の最短距離なのだが、地形が厳しいために、より起伏が緩やかな南の9号線が先に東西横断陸路として発展したのだろう。(中略)
15時すぎからは下り道が増え、盆地地形に入る。起伏が緩やかになり、急カーブは減る。牛の放牧も見られる。
16時ごろ、ラックサーオのマーケット前で筆者を含む対半の乗客が下車。運賃を聞かないまま乗っていたのだが、降りたときに6万キープの請求だった。180kmほどの行程を実質4時間ほどで着いたので、平均時速は45kmhというところ。後半は山道で、とくに上り坂では馬力のないソンテウのスピードがガクッと落ちた。
目星をつけていたPhouthavong Guesthouse まで歩く。ラックサーオの中心地はわかりやすい。北東・南西方向に走る国道8号線と北西・南東方向に走る国道1E号線との信号のある交差点がラックサーオのヘソのような存在(写真)。ゲストハウスは交差点から南東に100mほどの国道1E号線沿いにある。ラオ語でラックサーオは「20km」という意味で、かつてフランス軍の基地のあったナペー村からの距離がそのまま町の名前になっているらしい。
ゲストハウスでは部屋を2つ見せてもらい、エアコン付きのやや広い105号室を選んで宿泊費は8万キープ(約10ドル、朝食なし)。バスルームの施設が古いが、お湯が出るというのでよしとする。
翌日のベトナム行きバスの発車時刻を確認したいので、バスターミナルへ向かう。ゲストハウスを出て国道1号線Eのはす向かいにあるdry marketを突っ切り、しばらく行くと左手にバスターミナルがある。ゲストハウスから直線距離で150mほど。ただし、雨のためにマーケット周辺やバスターミナル内の赤土の地面はぬかるんでいる。ラックサーオのバスターミナルはパクサンよりも広く、大型バスが3台駐車していた(写真)。
ターミナル敷地の一画では男連中が賭けペタングに興じている。中央の案内所らしき小屋に詰めているおじさんに、「明日ベトナムのVinhへ行きたいのだが」と聞くと、英語はしゃべれないが、紙に数字をメモしてくれ、12時発、運賃は12万キープだとわかった。(中略)
ラックサーオの町はせいぜい200m四方の範囲内にマーケット、バスターミナル、銀行、商店、宿泊施設、飲食店が集中していて、前日のパクサンより旅行者にとってはむしろ便利だ。
17時すぎ、国道1E号線の道幅が広くなったところの右手に『歩き方』で紹介されているOnly One Restaurantがあり、入ってみる。朝7時前以来、ランチを抜かして10時間以上経っているので腹ペコ。牛肉ラープ(3万キープ)、空芯菜炒め(1.5万キープ)、もち米ご飯(5000キープ)、ビアラオ大瓶(1万キープ)を注文。合計6万キープ。久しぶりに青物野菜をたくさん食べられた。もち米ご飯を食べ過ぎてしまい、夜まで少し胃がもたれた。
晩酌用にワインを探したが売っている店は見当たらず、試しにラオス産ウィスキー(値段は失念したが安かった)を買ってみた。文字通り「Lao Whisky」というラベルで、ボトルも箱も、ジョニ黒をそっくりコピーしている。だが、開けて少し飲んでみると、まずい。工業用アルコールに味付けしたような感じ。ショット2杯分くらい飲むと気分が悪くなりそうになったので、やめた。9割がた残ったボトルは部屋の置き土産にすることにした。長い1日だった。