南部回廊ほか14: シーパンドーン |
翌6月24日、7時ごろ目が覚める。昨晩も蚊に悩まされた。頭の近くをブンブン飛び、頭と手を何か所も刺されたが、まあ何とか睡眠時間はとれた。早朝の時間帯に電力が戻り、エアコンが作動し始めたのは覚えている。トイレに行って水を流すと茶色い水だ。洗面台の蛇口をひねるとこれまた茶色い水が出る。昨晩の大雨で泥が水道管に混じったのであろう。水回りはかなり悲惨だ。電気も、朝起きてから再び40分くらい停電した。ラップトップとカメラのバッテリーを毎日充電しなければ今のスタイルの旅は続けられないので、電力が安定しないようなら、早目に島から出ようと思う。もう少しグレードの高い宿泊施設が希望だったが、船から降りて通った島の印象では、これでも島でトップクラスの宿泊施設なのだろうと思う。
8時半ごろレストランへ行き、朝食。セットメニューがアメリカン、コンチネンタル、アジアンの3種類ある。アメリカンを注文。卵焼き2個、チキン照り焼き、バケット、オレンジジュース、コーヒーというなかなか豪華なものだが、4万チャット(5.5ドルほど)と高い。
昨晩は雨と停電で景色を見る余裕がなかったが、レストランからの眺めは素晴らしい(写真)。旧鉄道橋をバックパッカー達が自転車やバイクで通り、橋の下を、本土から荷物を満杯に積んだ渡し船が通り、レストランの真下に着岸して荷下ろししている(写真)。前の晩のスコール+停電から一転しいて今朝は日が差して暑そう。
10時ごろ、ゲストハウスで自転車を無料で借りて出発。出たところに “oldlocomotive 50m”というサインがあり、フランス軍が利用した旧機関車が展示されている(写真)。とても小さく、機関部分の高さは筆者の身長と同じくらいなので2mもない。これでよく船を積んで運んだものだ。当時フランス軍がコーンパペンの滝を越えてメコン川を北上する際の格闘を説明した4枚のパネルがある。当時のフランス軍は、いろいろ試した結果、コーン島から船を上陸させ、2つに解体して鉄道で運び、デット島への鉄橋経由でデット島の埠頭で再び船を組み直して進水させるという方法をとったという。旧鉄道橋の下あたりでこのテーマで取材に来たと思われる韓国人のテレビ制作チームに出くわした(写真)。日本のテレビ局もこういうところまで来て歴史番組を作ってほしいものだ。
次にコーン島の南西にあるソムパミットの滝を目指す。ゲストハウスが面するデット島とコーン島の間を流れるメコン川の支流沿いの通りを南へ1kmほど走ると、右折してソムパミット(リーピ)の滝があるというわかりやすいサインがある。そこから水牛たちに遭いながら(写真)、ほんの200mぐらいで滝の入り口に着く。滝は期待した以上に迫力があった(写真)。無秩序に張り出した岩に水流がぶち当たり、滔々と落ちていき、下流でまた合流する。雨期だからこその迫力なのだろう。滝を出ようとしたところで、タイ人観光客12~3人のグループに出くわす。「ヌン、ソーン、サーム」と記念撮影をしていた(写真)。ほかにもあとから続々と若い白人グループが到着していた。
次にコーン島の中央を旧鉄道橋から南東に走る、旧鉄道ルートのやや幅が広い砂利道に出る(写真)。自転車のタイヤがパンクしないようにゆっくりと走る。この道は旧フランス軍が使用した鉄道跡の道で、よくこんなところに鉄道を敷設して船を運ぼうとしたもの。4kmくらいを40分ほど自転車で走って島の南東端のハーンコーン村の船着き場に到着。そこは4000の島々(シーパンドーンの語源)に流れを邪魔された水が再び一同に会して下流へ流れるポイントで、眼前に見えるのは川というより湖という印象(写真)。
そこから川イルカ・ウォッチングのボートが出ているのだが、ボートの事務所に誰もいない。5分くらいして、筆者のあとからフランス人青年がやってきたので、イルカを見に来たのかと聞いたら、深く考えていなかったみたいで、一緒に乗ったほうがボートが出やすいと思ったので、「雨期にはカンボジア側のポイントに集中して観られるらしいからチャンスだ」と説明したらその気になった。その青年は最初にミャンマーに入ったあと、チェンマイなどのタイ北部を経由してビエンチャンに入り、ラオス滞在はもう1カ月で、翌日が観光ビザで許されるラオス最後の滞在日だという。今はデット・コーン島の北にあるコーング島に泊まっていて、今日はデット島までボートで1時間半かけて来て、上陸して自転車を1時間漕いでここに着いたとのこと。(中略)周囲の村人にボート・ドライバーはどこだと聞いて、携帯で連絡してもらったら、陸上係員がようやく現われ、1人6万キープだといい、定額のチケットを販売している。1人でも2人でも同じ値段だった。
12時すぎ、フランス人青年と2人で見晴しのいい展望台から、川の水位のところまで階段を降りる(写真)。
陸上係員にどれくらい時間がかかるのかと聞いたら2時間という。フランス人青年はもっと早く帰りたいというので、1時間にしてくれと係員に伝えた。微妙なバランスを保ちながら乗船し、出航。イルカウォッチングの地点は意外に近く、15分くらいでドライバー氏がエンジンを停止した。南西方向のかなり近くにカンボジア領の岸が見える。
15分くらい辛抱強く待っていたら、クジラの潮吹きのような音が遠くに聞こえたと思ったら、ドライバーが少し興奮した声を出して指をさす。見逃した。しかし、それを契機に、50~100mくらいの距離にイルカが水面に上がってきてダイブする運動を10回前後は見た。フランス人青年は一眼レフを持っていて真剣にシャッターチャンスを狙う。筆者はせいぜいズーム4倍のバカチョンカメラなので、質ではなく量で勝負。下手な鉄砲も数撃てば当たるの精神で、イルカの姿が見えた瞬間にその次に出てくるであろう箇所にズーム一杯でレンズを向け、出たと思ったらシャッターを押す動作を繰り返した。結果は惨憺たるもので、20回くらいシャッターを押したなかで、イルカらしきものと識別できる写真は1枚だけ(写真)。まあゼロよりましか。(中略)
ゲストハウスへ戻る途中、欧米人観光客の自転車ツアーと何組かすれ違った(写真)。東南アジアのこうした不便なところに遠くからやってきて我々よりはるかに長期間過ごす彼らの精神というのは何だろうか。コロニアル記憶がDNAとして受け継がれているのだろうか。
15時半ごろ、旧鉄道橋に到着。これで3日間通算してマラソン距離と同じくらい自転車を漕いだ計算になり、尻が痛い。しばらくは乗りたくない。(後略)