東部回廊ほか見て歩記14: ハイフォンからニンビンへ |
翌4月17日朝、ハイフォンからニンビンへ向かう。市街から南西に4kmほど離れているニエムギアNiem Nghiaバスターミナルから出発。郊外へ向かう道路沿いには家具店がずらっと並ぶ。ベトナムは木材加工は主要産業のひとつであり、どの都市にもこうした家具屋通りがあるようだ。(中略)
交通量は結構あるものの、比較的スムーズな路面の道路で、3時間ほどでニンビン市内に到着。バスはニンビンより先の南方向へ走るようで、予めニンビンで降りると伝えてあった車掌が、同乗した観光客と思われる白人夫婦と筆者に声をかけてくれて、ニンビンの市街で降ろしてくれた。
しかし、下車した場所がどこかわからず、通りかかったタクシーにひとまず乗り、ネット予約していたNinh Binh Legend Hotel(1泊40ドルほど)の住所を書いたメモを見せた。しかし、新しいホテルのようで、運転手はどこなのかわからない。30分ほどウロウロした挙句、筆者がラップトップに保存していたヴァウチャーに載っていた電話番号を運転手に見せ、彼が携帯でかなり長くやり取りしたあと、ようやくホテルに着いた。運転手がわからないのも無理なかった。ホテルは2010年に開業したばかりで、まだ周りはほとんど空地で住宅造成中の荒野のよう。のちのガイドの話では、その日は104室中、25室しか埋まってないという。客層は大半が欧米人。
4つ星ホテルで部屋も広々としているが、市街から離れているので、自力での散策は無理だ。そういう事情を熟知しているのか、フロントから部屋へ案内してくれたTさん(30歳前後と思われる女性スタッフ)が、自分は観光ガイドもやっていて、ホテルのシフトから外れるその日の午後と翌日の午前に、ホテルに内緒でガイドをすると申し出てきた。あとで聞いたらハノイの大学の観光学科を2008に卒業してUターン就職したのだという。ガイド代は半日20ドル(40万ドン)でいいという。
午後、ホテルから少し離れた場所で待ち合わせ、Tさんのバイクの後ろに乗って半日観光へ。「陸のハロン湾」といわれる奇岩山群の合間を縫いながら、よく舗装された道路を走り、7~8kmに位置する古都ホアルーを見学(写真)。(中略)
観光の途中でTさんが、夕食を「うちのアパートに来て食べないか」と誘う。これがバンコクやマニラであれば睡眠薬強盗のパターンだが、出会ったのがホテルのフロントであるし、要するに、自分の家族の夕食をファイナンスしてほしいという趣旨だ。15ドル出してくれれば、食材は近くのマーケットで買い、自分で料理するという。ちょっとしたファミリー夕食ステイということだ。たくましく賢いお母さんだ。夕方、またTさんのバイクの後ろに乗せてもらい、ニンビン市内の南のほうへ行った。通りから少し裏に入ったフランス統治時代に建ったとても古い2階建ての集合アパートに25家族くらいが住んでいるといい、その1階の1室(縦長く20m2くらいか)がTさんと2歳の娘さんが生活している空間だ(写真)。
旦那さんは軍隊務めで大学は出ていないが、将校候補だとのこと。Tさんのホテルの月給は200万ドン(100米ドル)で、アパートの家賃がその半分、子供を預ける民間保育所の費用が月100万ドンだから、それだけでホテルの給料が飛んでしまう。電気・水道代がさらに月20ドルほどかかるという。なるほどこれなら副業で稼ぎたいのは当然だ。旦那さんはまだ帰宅しておらず、義理のお母さん(姑)が来ていて、4人で床に座って食べた。料理は6種類ほどあって、ホテルより豪華だった。すぐに満腹になり、1時間ほどでおいとました。次にTさんに勧められて、知り合いのマッサージ屋に行く。Tさんにいくらかと聞くと15ドルとの答え。独自のビジネスネットワークへの口利きで当然マージンも取るのだろうが、悪意は感じられないので話に乗った。行った店には2階に大部屋が2つあり、どちらも地元の男性客で結構混んでいた。マッサージ師の6割くらいが男性で、筆者も男性にあたった。タイ式のように痛くなく、悪くなかった。となりでマッサージを受けていた男性が英語をしゃべれて、自分は船乗りで、1年の半分は海に出ていて、横浜や神戸にも寄港したことがあるという。ニンビン出身だが、現住所はホーチミンだという。ベトナム語で何を話しているのかわからないが、客同士とマッサージ師も交えて皆楽しそうに談笑している。不思議な空間を経験した。マッサージを終えるとTさんの旦那さんが待っていて、今度は彼のバイクでホテルまで送ってくれた。(中略)