昆明から大理へ |
9月10日、昆明の旅行社で借り上げ車とガイドをアレンジしてもらい、大理1泊、瑞麗2泊の3泊4日の視察に出た。今回の旅程の総コストの3分の1以上はこのパッケージにかかったが、初めての土地勘のないルートで中国語もできないので割り切った。このルートはミャンマーのマンダレーから北東方向に進む「北部経済回廊」の延長上にあたる。
朝8時過ぎ、昆明飯店を出発。車両はフォルクスワーゲンのセダン。ガイドの安さんに道中でまず少数民族の概説を聞いた。中国全人口のうち、朝鮮族、チベット族、ウイグル族、チワン族、さらには細かい少数民族を含めて、8%(約1億人)が少数民族に分類されるという。雲南省5000万人のうち、その3分の1が少数民族で、さらにその3分の1が最大の少数民族のイ族(約400万人)だという。1人子政策は都市部の漢民族にはまだ適用されているが、少数民族は漢民族との通婚などで、その人口は減っているため、1人子政策は免除され、1夫婦で2~3人は認められるという。
昆明から大理まで約350km。昆明から西へ延びる「杭瑞高速」は大理までは片道2~3車線のきわめてよく整備された舗装道路で(写真)、スピード測定器が備えられている区間をセンサーで察知してスローダウンする以外は、平均時速100~120kmで走行可能。昆明と大理の中間にある楚雄の近くでは「恐竜谷(Dinosaur Valley)」という看板が見える(写真)。恐竜の化石がでる場所が観光のメインだという。
11時ごろ、大理の手前100kmの地点で、交通事故のため全車線ストップして、動き出すまでに結果的に1時間40分ほど、のんびり待った。日本のハイウェイ情報のような便利なラジオ情報はないので、気持ちを切り替えて待つしかない。おそらく前後に数キロずつの停車した車の列ができていたと思われる(写真)。このニュースを察知したのか、近隣のイ族と思われるの女性数組が、カップ麺とお湯の入ったポットをもって沿道で道路再開を待っている乗客たちに行商していた(写真)。
14時前に大理に着き(写真)、古城の南門の近くの小[口乞]屋(軽食食堂)で遅いランチとなった(写真)。
大理は洱海(海のない雲南省では大きい湖を海と呼ぶ)と蒼山(4000m級の連山)に挟まれた風光明媚な都市である。蒼山の麓の広い敷地にある崇聖寺山塔文化旅遊区(入場料121元)で2時間ほど歩いたが、洱海側は見晴しが素晴らしく、蒼山側は雲がかかって幻想的であった(写真)。
古城(6km四方)の繁華街の中心にある蘭林閣酒店(Landscape Hotel)に予約通り投宿(写真)。1泊300元(約4500円)で外装は古風なデザインを残しながら、内装を近代的に造り替えている。古城の北門から南門を貫く復興路が再開発されてすっかり垢抜けた繁華街となっていて、その復興路と交差する護国路が通称「洋人街」とよばれる西欧化が進んだ通り(写真)で、建物の外見は古いが、中は欧風レストラン・パブに改造している。その南側の人民路がレストラン通りで、地元の中華料理屋に加え、こちらも西欧化したカフェバーが数軒みられた(写真)。この中心部だけ歩くと、日本の倉敷がさらに欧風化したような雰囲気である。欧米の旅行者もこの区域でかなり見かけた。翌朝、8時には中国人団体観光客が古城に入ってきていた(写真)。こうした観光ができる国内の富裕層が厚くなってきたのだろうと想像する。