3都市⑩: プノンペンその1 くっくま孤児院 |
9月4日、バンコクからプノンペンへ移動。翌9月5日は王宮、トウールスレン博物館、ワット・プノン、キリングフィールド(チュンエク村、プノンペン市街の南西約15km)を見学し、翌9月6日、「くっくま孤児院」と「田山スクール」を学生と一緒に訪ねた。
くっくま孤児院は、市街から1号線でモニボン橋バサック川を渡って1kmほど北に言ったバサック川の近くに立地。常駐スタッフは5人だが、短期・長期でボランティアを不定期に受け入れている。
現在の校舎兼宿舎は5年前に建設された。その前はもっと都心の裏通りの狭い場所で孤児院を運営していたが、土地のレンタル代が上昇するなど経営維持に苦しんでいて代替地を探していたところ、在日韓国人の洪玉順女史(日本で焼き肉レストランで成功)が世界中の貧しい子供達の学校活動を支援する旅をしている一貫でカンボジアを訪れたのに巡り合い、この建物を寄付してもらったという。ここの移る前の生活は、レストランの残飯を集めたりするという、生きるのに精いっぱいだったという。
入居者は25人で年齢は5~20歳。彼らの教育と経済的自立支援を優先し、新規の入居者は受け付けていない。文字通り両親がいない孤児は1割程度で、残りは父親がいない貧しい母子家庭から預かったり、路上生活をしている両親から預かったりしたものだという。月あたり約3000ドルかかる経常費の8割は寄付金やサポーター制度で賄っていて、残りはお土産物販売、子供達のパフォーマンス報酬など。
年長者と年少者による元気のいい歓迎の挨拶の後、ココナツ・ダンス、クローマ(カンボジアの伝統的な手ぬぐい布で男子が青、女子が赤のチェック模様、写真)・ダンス、バンブー・ダンスが続いた。パフォーマンスのレベルは素人目にも高く、去る9月1日のANA直行便就航のセレモニーに呼ばれたり、日本から招待されたりしているという。
カンボジアには孤児院が約600存在するという。しかし、ポルポト時代に両親を失った子供たちは今や30歳台以上であり、当時の特殊な事情によって孤児になった層がいなくなった現在、「孤児院」というのは観光客相手のビジネスに堕していると批判する欧米系NGOなどは、親がいる子供達は親元に返して家庭の中で育てさせるべきで、その代り親の職業訓練などの支援をしていくべきだという圧力が強くなった。実際、王宮近くにあるNGO Friendsという機関がそうした子供達の職業訓練を支援し家庭への帰還を目指しているという。カンボジア政府もそうした国際圧力に応え、社会福祉省が孤児院の身元調査に乗り出している。くっくま孤児院としては「今ここで自立しようとしている子供達を突然環境が厳しい家庭に戻しても、彼らの将来に責任を持てるのか」と、調査に訪れる役人とは議論をしているところだとう。