タイ南部国境地帯4: ラノーンからミャンマーのコータウン国境を往復 |
翌3月11日、眠れないまま深夜に一度共同トイレに行く。屋外トイレのあるベランダはかなり気温が下がっているが、ゲスト部屋が並ぶ屋内は空気がよどんでいて生暖かい。風が通らない構造になっているのか。これでは宿泊客は全員寝苦しいだろうと思う。その後、破れた網戸から入ってきたと思われる蚊にも悩まされた。結局、断続的に仮眠のようなものしかとれず、6時半ごろ起き上がり、トイレで顔を洗い、1階へ降りた。2階の部屋よりも1階の方が涼しい。
例の女史がすでに店を開けていて、アメリカン朝食セット(120バーツと意外に高い)を注文。量は充実していたが、コーヒーはインスタントでがっかり。
7:20ごろ、女史のいとこという男性がミニバスでピックアップに現われた。ミニバスのフロントガラス上部に「Visa Run」と書いたラベルが貼ってあり、わかりやすい(写真)。
7時半に発車。乗客はミャンマーからの出稼ぎと思われる女性4人、ロシア人男性観光客2に、アメリカ人男性観光客2人。隣に座った陽気なロシア人男性と少し会話になり、この車両は今日チュムポーンを出発してきたのだという。ロシア人2人はチュムポーン近くのビーチでしばらく過ごしたらしい。彼らは5~6か月のバックパッキング中で、資金が足りなくなるとタイにいるロシア人の友人を仲介して送金してもらっているという。アングラマネー市場であろう。やや怪しい人達か。アメリカ人は1人が年輩で1人が若者。年輩の男性がタイ滞在のベテランのようで若者にいろいろ旅のノウハウを伝授している様子だった。
ミニバスは4080号線を西へ走り、途中から片側2車線の中央分離帯付きの立派な道路に変わる。10分ほどでラノーンの魚市場兼船着き場に到着。「One StopService」と書いたアーケードをくぐるとその先にSapanplaイミグレオフィスがある。結構長い列ができている(写真)。見たところ、ミャンマー人が8割、ビザランの外国人が2割といったところか。
15分ほどでミニバスの乗客全員の出国手続きが終了し、待機していた屋根付きの20人乗りほどのボートに乗り込む(写真)。
ちょうど8時に出航。狭いラノーン湾を10分ほど進み、右手に「RanongImmigration」と書いた水上施設で車掌が何か書類を手渡ししたが、乗客は座ったまま。そのすぐ先に水上税関施設があるが、旅客船なのでこれは素通り。ラノーン港からアンダマン海への河口に出る手前に小さい無人島があり、そこがタイ海軍のチェックポイントになっている。そこはとくに上陸せずに回り込んで通り過ぎ、アンダマン海への広い河口に出る(写真)。ここはほぼ外洋で、かなり波があり、ボートの右側から水しぶきがかかってくるので、車掌がボートの右側だけビニールカバーを降ろす。
出航して30分余りでミャンマー側のコータウンKaw Thaungの小島に到着(写真)。船着き場の名前は「Myoma Jetty」。桟橋にはミャンマー人のガイド連中が待ち構えていて、筆者らが上陸するなり「島でどれくらい過ごすのか」と達者な英語で聞いてくる。筆者は多少島を見て回るつもりで片道ツアーにしていたので、「2時間ぐらいだ」と一応答えておく。ビザランの外国人は全員、外国人専用のイミグレ小屋に入る(写真)。車掌の男性が全員のパスポート、コピー、入域料をとりまとめ、すべて代行してくれるので楽だ。15分ほどで手続きが終了。パスポートにKawthaungの名前で入国、出国のスタンプが1つずつ押されているのを確認。
さきほど筆者をつかまえた男性ガイドとバイクタクシーのツアー代金を交渉する。島1周600バーツだというので、500バーツでどうだと返すとすんなり頷いた。彼の後ろについて、船着き場の向かいの商店前に駐車してあるバイクまで歩く。そこの商店にはタイのビールや炭酸水がケースごと積み上げてあった。ボート貿易で輸入したのだろう(写真)。
若いガイド氏は肌の色がとても濃く、聞いたらムスリムだというので、インド系ミャンマー人の子孫だろう。島民の6割が仏教徒、4割近くがムスリム、数パーセントがクリスチャンだという。バイクでスタートしてすぐに小さい商店に立ち寄り、マニュアルでガソリンを補給する(写真)。その後、ミャンマーらしい托鉢の尼僧の行列(写真)とすれ違ったあと、登り坂をあがり、島の尾根に当たる見晴のいい地点まで走る。登り坂の途中でラノーン方面の海峡が見え、さきほどボートでやってきたルートがよくわかる(写真)。
丘の頂上とそこへの坂道からは島の周囲が一望できる。デート中のカップルも2組見かけた。ガイド氏によると、この島からミャンマー本土へは船か飛行機を利用しなければならないという。タイのラノーンともボートでしかつながっていないことを考えると、ここの国境におけるタイ・ミャンマー間の経済統合はあまり進まないだろうと想像する。バンコク方面からラノーン港まで貨物を運び、アンダマン海への海運へとつなぐ物流はある程度あるのだろうが、こちらについても、先日訪問したテーキー・プーナムロン国境とダウェイを結ぶ道路が整備されれば、バンコクからアンダマン海向けの貨物はラノーンからダウェイへ転換するだろう。ということはラノーンとその対岸のコータウンの経済は、漁業と観光に頼らざるを得ないのではないか。実際、ガイド氏の話では、コータウンの小島のすぐ目の前が「カジノ島」で、そこへはタイ人観光客が来るようだ。両岸の漁業町の観光資源を開発し、バンコクからのタイ人や外国人客(ビザラン客)を誘致していくのが地元経済の現実的なシナリオか。
ガイド氏は島の仏教寺院の見学を勧めるが、入場料が10ドル、カメラ撮影料が50バーツというので、わざわざそこまでするつもりはないので断る。すると、丘から降りて船着き場近くの遊歩道へ案内し、「これはここでビルマ人が日本兵と戦ったことを象徴するモニュメントだ」(写真)などと説明してくれたが、そのあとすぐ船着き場に戻り、「あとはこの辺りを歩いて見ればよいのでツアー終了だ」と言われた。バイクでお世話になったのは正味45分ほどだったので、相当ぼられたことになるが、たしかに見どころは船着き場近くに集中しているようなので、割高なツアー代金を払って別れた。
船着き場のはす向かいに奥行60m×長さ150mほどの屋根つきマーケットがあるので、そこを見て回る。生鮮品のセクションはなかなか賑やかだが、面積はさほど大きくなく、漁村島にしては海産物の売場が狭く、小さい魚しか売っていない(写真)。島自体の海産物の需要は小さいのであろうから、周辺海域であがった海産物の大半はラノーン港の魚市場(後述)か、ミャンマー本土へ運ばれるのであろう。
マーケットの裏にはモスクがあり、インド系のムスリムの人達が多い。マーケットの表の海岸通りは、多くのボート所有者、ボート乗客、露天商、さらには托鉢の僧侶の行列などがひしめいてとても賑やか(写真)。
10時少し前(ミャンマー時間は9時半前)にすでに日差しがきつく非常に暑くなってきたのでコータウン観光は切り上げ、船着き場近くで見つけたビアホールに入る。ミャンマービールの生で一息(写真)。代金は6000チャット(約70円)と良心的。
10:50ごろ、ラノーンへ帰ろうと思い、船着き場へ歩く。ちょうど、欧米人カップルがビザランを終えてタイ側へ帰るところだったので、彼らのボートに便乗させてもらう(写真)。ボートをアレンジしたと思われるミャンマー人ガイド?にいくら払えばいいかと聞いたら、200バーツだという。細かいバーツ紙幣が切れていて、チャットではいくらかと聞いたら6万チャット(約700円)だというので持ち合わせていたチャットで支払った。ボートを1人で借り切ると500バーツはかかるらしいから、便乗させてもらえて助かった。
30分後、ラノーンの船着き場に到着。折り重なって停泊しているボートを踏み越しながら上陸(写真)。昼近くなってタイ側のイミグレに並ぶ人の数は朝より多いが、入国者の列は短くて、スムーズにタイへ再入国。Ranong の文字と、新たな29日間の滞在許可がスタンプされているのを確認。
船着き場の南側に広がる魚市場を少し見学。日中の暑い時間帯のせいか、アクションはさほどみられないが、それでも陸揚げされた魚を懸命に仕分けする人達の姿が見られる(写真)。
11:45ごろ、寝不足で炎天下を歩きまわるのは危険なので、朝ミニバスが着いた地点のバイクタクシー乗り場で客待ちしているおじさんに声を掛け、ラノーン港(Ranong Port)に少し立ち寄り、それから市街のバスターミナルへ連れて行ってくれと、英語で説明したが、あまり通じない。「貨物船(big ships)が着く港(port)」と説明したが通じなかったようだ。ともあれ、運賃は100バーツをオファーしてきた。バテていたので、ラノーンの貨物港を見に行くのはあきらめ、そのままバスターミナルへ戻った。
2012年のジェトロ情報では、ラノーン港の船舶入港数が伸び悩んでいるらしい。バンコク周辺の産業集積から遠方に位置していることや、ラノーン周辺にはゴムやパームオイルなどを除き目立った工業がないことなどが要因だろうという。