メコン川上流域ほか27: メーサロンその3 |
1月25日、10時ごろ、少数民族村を訪ねようとするのは諦め、1234号線を一路東へ向かう。メーサロン中心部から3kmほどの地点にMae Salong Flower Hill Resortという広い花壇の庭が美しい宿泊施設がある(写真)。メーサロン付近は観光開発がかなり進み、道路沿いにこうした新しい豪華な宿泊施設がたくさんできているようで、老舗リゾートである美[其斤]楽麗所の影は薄い。
そこからの1234号線は、山道の旧道を舗装したもので、路面は良好だが、起伏とカーブが非常に厳しい(写真)。とくに下り坂のカーブではバイクを制御するのに緊張する。
メーサロンから7~8km地点には広大な茶園が何カ所かあり(写真)、華僑の影響がここにも表れている。
メーサロンの中心から約13kmの地点に1234号線と北へ向かう4052号線の交差点があり、チェックポイントがある。そこを北へ向かう。ここからクン・サ博物館があるThot Thaiの町までさらに約13kmだ。
4052号線のいくつかの箇所は山の尾根を伝うスカイラインのようになっていて、非常に気持ちいい(写真)。起伏とカーブには注意しなければならないが、バイクで飛ばすには最高の眺めだ。
一方、焼畑の跡も目立ち、早くも山焼きの季節に入っていることがわかる(写真)。前年3月にメーホンソン県をやはりバイクで走っているときにも見た「ForestFire Index」(山焼きによる煙害測定値)を示す半円に緑→黄→オレンジ→赤と色分けしたマニュアルのゲージ板をここでも見た。今日はまだ針が緑の範囲内にあるので大丈夫のようだ(写真)。
11:20ごろ、どこかの町で右手に「中華中学」の門をみたので、そこをくぐって100mほど坂を登ったら、確かに華人学校があった(写真)。メーサロンだけでなく、チェンライ県の広範囲にわたり、昔ながらの移民でタイに同化した華僑とは別に、20世紀後半になってから流れてきた国民党残党の子孫があちこちに分散して住んでいるようだ。
11時半ごろ、右手に「Khun Sa Old Camp坤沙博物館」というサインが見えたので右折する。少し登り坂を走ると、「Khun Sa’s Museum」という英語表記のゲートがあり(写真)、そこをくぐると小さな公園のようなスペースに出て、そこがクン・サ博物館だった。馬に乗るクン・サの銅像がある(写真)。銅像はあとでつくったものだろうが、その背後には厨房棟や訓練棟など、クン・サが対共産軍の陣地を張っていたと思われる施設が当時のまま保存されている(写真)。彼の部隊が寝泊りしていたという建物の内部が珍しい写真や地図の展示場となっていて、興味深い。クン・サがまだ麻薬ビジネスに手を染めていない頃?の若々しい写真もある(写真)。
国民党とたもとを分かったあと、クン・サはシャン州へ移動し、シャン族・モン族の独立運動を大義名分とするモン・タイ軍(MTA)を結成し、それから「麻薬王」への道を進んだのだが、この博物館には麻薬関係の展示は一切なく、彼のシャン州における対ビルマ政府軍との戦いを称賛する形の展示となっている。実際は彼の勢力とビルマ政府軍との戦闘はほとんどなく、むしろアヘン利権をめぐってビルマ共産党軍と衝突したとされている。1996年、クン・サはミャンマー政府と停戦合意し、その後は首都ヤンゴンで生活し、結局麻薬に関するお咎めはなしのまま、2007年にヤンゴンで死んだのだが、そうした経緯もこの博物館では省略されている。ゴールデントライアングルのHouse of Opiumにはそういう説明があるが、博物館の目的が違うのだから当たり前か。それはさておいても、このクン・サ博物館の展示が興味深いのは、かつてモン・タイ族(Mong Tai)が治めていたシャン州のチャイントンではその王宮がビルマ軍によって過去を消すようために打ち壊されたとアピールするパネルがあったり(写真)、シャン州でビルマ政府軍に対して武力闘争を行ってきた軍事勢力を歴史を追って詳しく、リーダーの写真入りでパネル展示していたりするところだ(写真)。その中にはクン・サが率いたのちのShan Union Army (SUA)のほかにも、クン・サがむしろアヘン利権で衝突した旧ビルマ共産党勢力で、そこから離脱した、現在麻薬(ケシからつくるアヘンではなく、化学材料からつくるアンフェタミン系覚醒剤)の主要な生産集団といわれるUnited Wa State Army (UWSA)も含まれている。ここはゴールデントライアングルのWho’s who一覧としての価値ある資料館だと思う。おまけに、1947年の、アウンサン元将軍が残した業績である、ビルマ軍と主要少数民族武装集団が和平に合意した「パンロン(Pang Long)合意」の写真まである(写真)。この博物館はタイについてよりもミャンマーの現代史についてのほうが詳しい。
12:20ごろ、一路メーサロンへ引き返す。帰りは道路状況をよく覚えているので、運転は比較的楽だった。ガソリンのゲージが最後には4分の1ほどまで下がったが、往復約52kmを無事走破した。最後はメーサロンのガソリンスタンドでタンクを満タンにしてから新生旅館に戻り、バイクを駐車場に返した。