雲南省国境地帯25: 河口から馬関へ |
河口のバスターミナルから大通りを北方向に少し行くと、左手に「河口県北山小学」がある(写真)。父兄が10人ほど正門の前で待っていたので、昼休みの時間が近づいて子供を迎えに来ていたのかもしれない。その先へ歩くと、「中国・越南城」というショッピングセンターを建設中(写真)。さらにその先を歩くと、大通りが東側へカーブしたところに、真新しい(まだ開館していない?)「中国・東盟(アセアン)河口国際貿易中心」という立派な建物がある(写真)。このあたりが北山開発区の一部のようだ。
11:40(筆者の腕時計はまだ10:40)、余裕があるつもりでバスの待合室へ入り、「文山」と書いた看板の下をみるとバスはまだいない。他の行き先の看板の下にはバスがだいたい出揃っているのにおかしい。このとき初めてベトナムとの1時間の時差を思い出した。まだ10分遅れなので、多少希望を持って、チケットをその辺のドライバーおじさん達に見せてまわったが、やはり「行ってしまったよ」というジェスチャーが返ってきた。44元が無駄になった。
案内板にはまだ12:50発の最終の文山行きがあることになっているが、再び切符売場に行き、筆談で最終便のチケットを新たに買おうとすると、窓口の女性はほんの少し英語ができて「文山行きは今日はもうない」と言う。ショック。日が短い冬だからか、客の需要が少ないからかよくわからないが、最終便は欠便ということだ。時差を失念したペナルティだった。持参した雲南省の道路地図を引っ張り出し、どうしようか考える。河口から文山までの途中に馬関(マグアン)という町があるので、今日はひとまずそこまで行き、そこから夜までに文山行きに接続する便があればそれに乗るという作戦に切り替えた。窓口で馬関行き12時発のチケットを33元で買う。座席指定が一応あり、1番だ。ということはあまり客がいないのだろう。
今度こそはバスを逃すまいと、「馬関」の看板の下の20人乗りの小型バスを見張っていた(写真)。ところが12時になってもバスは空っぽ。運転手さえいない。これはキャンセルになるのかなと悲観的になっていたところ、12:10に運転手が現われて「Maguan?」と筆者に声をかけるので、ほっとして乗り込んだ。
12:08、乗客は筆者1人だけで発車。数分後に1人乗車。河岸通りから左へ分岐する坂道を登る。しばらくして右手に「聨合服務大楼」というビルを見る。これが第2国境橋の河口側ゲートへつながるイミグレビルにちがいない。その先数百メートルに、新河高速(河口とその西方向の新街を結ぶ)の入り口があるが、その新街方面と河口方面の分岐点で、いったん河口方向へ引き返す。「河口農村客運駅」に立ち寄って一時停車(写真)。追加乗客を待つがなかなか乗ってこない。20分ほど経ってようやく3人追加したところで再発車。市街をゆっくり進んで乗客を拾おうとするが、うまくいかない。
12:40ごろ、馬関・文山方向への省道235号線に入ったところで2人追加。それでもまだ乗車率は3割程度。道路はカーブの多い山道だが、路面はとくに問題ない(写真)。
13時すぎ、河口から約20kmの南渓の町に立ち寄り、そこの客運駅でさらに追加乗客を拾おうとする。駅舎前にはパイナップルやバナナの露店が出ている(写真)。
13時半ごろ、2人追加して、乗客8人で再発車。10分後、「南渓公安検査場」というチェックポイントがあり、係官がバスに乗り込んで乗客の身分証明書を確認する。筆者のパスポートは一旦持ち出さされ、記録を取られた。ここまできちんとチェックされたのは初めてだ。そこで「馬関まで108km」のサインを見た。地図でみると直線距離はせいぜい60km程度に見えるので、カーブの山道の連続なのであろう。実際、その通りとなった。
235号線の沿線にはやたらとバナナ園が目立つ。急な山の斜面にまでびっしり栽培している(写真)。背中に運搬用のかごを背負ったロバの姿が目立つ(写真)。急斜面で収穫したバナナを運ぶのに便利なのかもしれない。時々通り過ぎる村には、民族衣装を着た苗(ミャオ)族の女性を見かける。地形といい、民族といい、ベトナム側のサパ前後の雰囲気と似ている。
14:40ごろまでにはかなり標高が高い位置まで登ったようで、バナナ園は見られなくなり、代わりに杉の植林が見られ始める。眼下には棚田が広がる。(中略)
15:25、馬関県に入る。木場鎮、仁和鎮という町を通過。だんだん車内が冷え込んできて、まだ着かないのかという気分になる。この時点で今日は文山行きを諦め、馬関で宿泊することにする。
16時半頃ごろ、馬関市街に入る。街は孟連程度の規模はありそうで、宿泊施設に困ることはなさそうだ。15分後に馬関客運駅に到着(写真)。乗客は次々と途中下車し、終点ターミナルまで乗っていたのは筆者だけだった。
合計130kmほどの距離に休憩・客待ちの時間を除いても、4時間近くかかった。平均時速は34kmhほど。ラオスの山道なみのスロースピードだ。高速道路以外のローカル道路は中国も不便だ。
バスを降りると寒い。ラオカイよりもはるかに寒い。ここまでの道中でも沿線の人々は冬の格好をしていた。この町の人々はブーツをはいている。サンダル履きの筆者はまたしても準備不足だ。ターミナル近くで早く宿泊場所を見つけたい。その前に、ターミナルの切符売場へ行く。願っていた通り、馬関から麻栗坡(マーリンポ)行きのバスが出ていた。これで翌日は遠回りとなる文山を経由せず、直接麻栗坡へ向かうことができる。朝一番の7時発麻栗坡行きを23元で購入した。
次は宿探し。寒さで震えながら、ターミナルの前の通りを横切り、少し行った路地が宿屋通りで、その一画にロビーが比較的新しそうな「華苑酒店」というのを見つけた。フロントの女性はまったく英語が通じず、筆談。1泊シングル部屋に泊まりたいということだけは伝わった。筆談で身分証明書を要求されたので、パスポートを渡すと、そこからがややこしくなった。おそらく外国人を泊めるのが初めてのようで、パスポートをどう扱っていいものか、4人ほどスタッフが集まっても誰もわからない。電話で警察を呼んだらしく、彼らが現われるまでずっと待たされる。ベトナムはディエンビエンフーやラオカイといった田舎町ほどチェックインがルーズだったが、中国は田舎ほど面倒なことになるようだ。ロビーのドアを開けっ放しにしているので、冷たい風が吹き込んで寒い。30分ほど待って、パトカーで警察官が4人ほどやって来た。大げさなことになった。警察官たちも筆者のパスポートを1枚1枚めくり、やたら時間をかける。河口から入国したスタンプの位置を教えようかと思ったが、下手にそういう動きをすると印象を悪くするかもしれないので、黙って彼らの動きを見守る。ようやくスタンプを見つけ、筆者のほうを向いたので、「Hekou,Maguan」と、河口から馬関に着いたばかりだと説明したら、彼らは納得した。そして警官の1人が、フロントのコンピュータで筆者について何やら入力し始めた。その後、ホテルの男性スタッフが筆者のパスポートを持ってバイクでどこかへ出かけた。必要箇所をコピーしに行ったのだろう。数分して彼が戻ってきて警察用、ホテル用、という風にコピーを仕分けした。そこでようやくフロントの女性スタッフがチェックイン用紙に記入してくれた。200元要求され、うち100元(約1600円)が宿泊代で、100元がデポジット。英語が多少できる若い警官が、100元は明日戻ってくるから、と念を押してくれた。結局、延べ10人がかりで筆者のチェックイン作業に40分ほどかかった。その間は寒くてたまらなかった。
18時前、ようやく5階の507号室に入った。ツイン部屋でカーペットのある、100元にしては立派な部屋だ。しかし、しばらくいると部屋の中も寒い。暖房はない。トイレは中国式だ。WiFiはChinaNetの強い信号が入っているが、フロントでパスワードを聞くと、筆談で何か説明してくれるが、理解できず、要するに使えないということだと判断した。快適なようでやはり100元程度のものだ。
ランチを抜かしたので腹ペコ。ホテルから100mほどの角にある、客の回転が早そうな食堂に入り、豚肉、苦瓜、空芯菜を指さして、炒めてくれとジェスチャーする。そして大理ビールを1瓶、冷蔵庫から出し、空いている席に座る。寒い。幸い、炒め物はすぐ出てきて、ご飯はキッチン近くのおひつから自分でよそおう(写真)。空腹と寒さで、食が進む。15分くらいで平らげた。
翌日の朝食用に、バスターミナルの横で見つけたパン屋でいくつかパン(12元)を買う。さらに暖房代わりに、酒屋で「純松子酒」と書いたアルコール42度100mlの一口月桂冠のような容器の酒を5元で買ってホテルへ戻る。部屋でシャワーを浴びようしたが、温水がぬるい。目いっぱい左へノズルを回すが、とても裸で浴びるような水温ではないのでシャワーを諦める。さっきの酒を試してみるが、多少体が温まるが、まずくて半分残した。すぐにまた寒くなる。靴下(1足だけバンコクからもってきていた)をはき、ジャケットを着たままベッドに入り、23時ごろ就寝。