雲南省国境地帯18: ウドムサイからパンコク・タイチャン国境を越えてディエンビエンフーへ |
11月25日、5時半ごろ目が覚める。まだ下痢症状で、3回トイレに行く。二度寝できないまま、7時にゲストハウスをチェックアウト。バスターミナルまで、10分ほどゆっくり歩く。8時半発ディエンビエンフー行きのチケットを10万キープで購入。
7時半ごろ、フロントガラスにDIENBIENFUと表示した20人乗りくらいの小型バスが入ってきた。即座に、空いていた前から2列目の通路右側の1人席に荷物を置いてその席を確保。フランス人達は待合スペースのコーヒーコーナーでおいしそうにコーヒーを飲んでいる。筆者もそうしたいが、まだ腸がゆるいので、口に何も入れず我慢する。
7:50ごろ、人々がバスの通路や屋根に「貨物」を積み込み始めたので、筆者の席の足元を埋められないように、乗り込んで席に座る。自分の荷物は運転手の横のエンジンの真上の平たいスペースに置く。ラオスは長距離バスでも指定席制でないので、こうして発車1時間前くらいに来て、気に入った席と荷物を置くスペースを確保するのがコツだとわかった。8時過ぎ、Iさんが乗り込んできた。彼も調子が悪く、前日はバナナ3本と水だけで過ごしたそうだ。何とか今朝までに回復したので、こうしてやって来たとのこと。
8:45ごろ、定刻より15分遅れ、満車で発車。しかし、すぐにガソリンスタンドで5分ほど給油休憩。
ウドムサイからディエンビエンフーまでは合計154kmほどの山道。ウドムサイから2E号線を北北東へ52km行くとポンサリー方面への1B号線との分岐点があり、そこを右へ折れて引き続き2E号線を東へ34km行くとムアンクア。さらにムアンクアから引き続き2E号線を東へ約50kmでベトナムとの国境。国境からベトナム領内を北東方向に34kmでディエンビエンフー、という行程。
9時、ウドムサイ県庁の角を右折して北東へ向かう。町の外へ出ると、道路は幅が狭く(写真)、追い越しや大型車両のすれ違いは注意を要する(写真)。しかも傷んだ箇所が多く、ルアンナムタ・ムアンシン間の17A号線よりはましだが、2E号線もムアンクアまでの道路は悪路。バスの車輪が頻繁に深い穴に突っ込んで車体がガンと揺れる。明らかに過積載の重量車両が原因と思われる、波打つような窪みも見られる。穴の前で急ブレーキを踏むと、時々エンジンが止まってしまう。目的地までたどり着けるのか不安(その後、不安が増幅される事態となる)。
この日の運転手は運転が荒く、アクセルとブレーキを交互に激しく使う。車体は古いトヨタで、上り坂で馬力が出ず、極端にスピードが落ちた。トヨタがバスを製造していたというのは意外だったが、バス製造は得意でなかったのだろう。あるいはトヨタのロゴをコピーした偽トヨタだったか。
9:40ごろから道路の右手にウー川(ナムウー)がずっと平行し、この状態がムアンクアまで続く。10:25、ポンサリー方面(左手)とムアンクア方面(直進)の分岐点を通過(写真)。乗客を数人追加。
11:10、さらに4人追加。乗車率は150%を越えたと思う。その5分後、ムアンクアのバス停に到着。そこの印象ではムアンクアはかなり小さな町のよう。ここでディエンビエンフーを目指す欧米系バックパッカー(男子1人、女子4人)が乗ってくる(写真)。彼らの荷物は屋根に追加できるものの、彼らの座るスペースはない。彼ら自身、乗るのは無理そうだと英語で口走っていたが、ベトナム方面の公共の足は1日に1便、このバスしかないようで、結局ドア近くに何人か立って再発車。乗車率170~180%か(写真)。このような過積載がその後トラブルにつながる。
11時半ごろ、吐き始めるラオス人乗客が出る。それほど山道のカーブがきついということだ。しかも今日の運転手は運転が荒い。ただし、このあたりから、舗装が比較的良好だ。山側は土砂崩れが起きないよう護璧工事がなされている(写真)。後のラオス側の国境ゲートでみた説明パネルでわかるのだが、ベトナムの援助で国境に近い2E号線はアップグレードされたようだ。
11:45ごろ、過積載のまま登り坂で運転手が無理にエンジンをふかしているうちに、ついにオーバーヒートでバスがダウンした。たまたま対向側から通りかかったディエンビエンフー方向からのバスに助けを求め、冷却用の水を調達した。バスのエンジンルームは運転席のすぐ右にあり、蓋を開けて水を注ぐと白い湯気が出る(写真)。その間、乗客の半分ほどが降りて草むらで用を足したり、煙草を吸ったりして待つ。筆者も降りて、後部座席に座っていたIさんに状況を伝え、「今のうちにトイレに行っておいたほうがいいですよ」と言った。40分ほど経ってようやく再出発。運転手は温度ゲージを見ながら恐る恐る進む。
12時半ごろ、運転席から湯気が立ち始めたと思ったら、再びオーバーヒートでバスがストップ。一度熱したエンジンは上り坂で再び熱しやすいのだろう。エンジンルームの蓋を開けて再びクールダウンの準備。今度は乗客全員下車し、木陰を探して道路に座り込む(写真)。長丁場になるかもしれないことを覚悟する。ムアンクアから乗ってきた陽気なバックパッカー達はここから歩くと何キロかなどと駄弁っている。実際まだムアンクアから10km少ししか来ていないので、国境までは40km近くある。
そのうちに、近くの村に知り合いがいる乗客が携帯電話で連絡してくれたようで、1人の村民がバイクでガロン容器の水を持ってきてくれた。その水をエンジンルームに注ぎ、バスが生き返るのをひたすら待つ。
13:10、ようやく再発車。まだ登り坂なので慎重に進む。5分後、さきほど水を持ってきてくれた村民の村に着き、運転手はお礼か謝礼をするべく本人を探すが、その本人はどこかにいなくなったみたいで、諦めて発車。
10分ほどしてようやく下り坂に転じた。オーバーヒートの心配は減ったが、今度はブレーキが焼き切れる心配がある。おまけに運転手は下り坂で調子に乗って飛ばすのでカーブでは急ブレーキ気味になり、タイヤがきしむ音がする。ときどき登り坂もあり、そのたびに乗客の間に押し殺した緊張感が走る。
ハプニング続きではあるが、天気がよくて山道の眺めはいい(写真)。ベトナム国境に近づくにしたがって、ゴム林が目立つようになる。ベトナム資本による契約農家などではないかと思う。そのうちに「ハノイまで512km」という道標を見る。そうか、ラオス北部のここからはハノイを射程に入れているのか。
14時前、Muang Maiというバス停に到着(写真)。国境まで31kmの地点。ここでランチ休憩。本来なら12時ごろにここに到達していなければならないのだろうが、2時間近く遅れている。運転手が一番空腹だったようで、すごい量の食事をしていた。少数民族の女性(モン族と思われる)を見かけた。休憩時のIさんの話では、彼は足元に後輪部分がある座席で、異常な熱を感じ、ブレーキがかかるときのキーンという音が耳について、しばらく聴覚障害のようになったという。(中略)
だんだん沿線にベトナム語の看板が目立ち始める。ベトナムからの移住者もしくは短期労働者が住むと思われる地区でベトナム人乗客も乗ってくる。Petrolimexというベトナムの石油会社の石油タンク運搬トラックと7~8台すれちがう。いよいよ国境が近い。このあたりの道路は路面がスムーズだが、路肩がなく道路幅がせまいので、すれ違いは注意を要する。再び登り坂となり、バスは何回かエンストを起こす。運転手はそのたびにエンジンを掛け替え、アクセルをふかし、慎重にクラッチを離すという作業を繰り返す。3度目のブレークダウンはやめてくれと願っていたら、幸いその後は何とか大丈夫だった。
15:40、ラオス側のパンコクPangkok国境ゲートに到着(写真)。山の上にポツンとあるのどかな国境ゲートだ。牛が草を食んでいる。出入国管理棟はベトナムのディエンビエンフー省政府から無償援助で建てられたとの表示がある。バスのあとからベトナムへ向かうトラック(現代自動車製)が停まった。さらには続々とバイクが国境へ着く。重そうなコメ袋を運んでいる。少額貿易扱いになるのかもしれない。その中の1人に近づいて聞くと、コメ袋1つに250kgも詰め込んでいるのだとか(写真)。それはちょっと信じられないが、それにしても巨大な袋を1台あたり3~4袋運んでいて、パンクしそうな感じだ。ちなみに、のちほどのVientianeTimesというラオスの英字紙報道によると、ラオス産米は農薬や肥料の投入量が少ないので、隣国と比べて質が良く、最近は精米技術も上がり、今年はラオス産米の販売価格が昨年から上昇し、タイ、ベトナム、中国への輸出が増えているそうだ。
さて、バックパッカー連中がこのイミグレ施設でラオス人国境係官兼個人両替商を相手に、ユーロからベトナムのドン通貨への両替を始めたおかげで時間がかかり、40分ほどかかってようやく全員出国検査を終了し、中立地帯をベトナム側国境ゲートへ向けて6km進む。こんなに中立地帯が長いのも珍しい。6kmも「無法地帯」があるということだ。その区間の途中、ベトナム側のいつものワンパターンな国境碑があり、公園のようなスペースを整備中であった。
16時半すぎ、ベトナム側のタイチャンTay Trang国境ゲート到着(写真)。ここの国境ゲートも、山の頂上にポツンと造られている印象。この国境には独立した税関がないようで、ゲートの建物のなかに税関事務所があった。X線検査もなく、バスの中の旅行者の荷物は調べられた形跡がない。7月に筆者が通った8号線上のカオチュオ国境では知らない間に荷物を降ろされてX線に通され、置き去りにされた事件があったが、ここはまったくのんびりしいていて対照的だ。
そこに詰めている係官の1人が英語が達者な元気のいい青年で、外国人全員(フランス人女性3人、オランダ人女性1人、オランダ人男性1人、豪州カップル1組、豪州男性1人、そしてIさんと筆者、と特定できるほど今日はバスのトラブルで長い時間を一緒に過ごした)を集めて、「入国スタンプを押す間にディエンビエンフーとその先の説明をします…」とレクチャーを始めた。最後に「ベトナム・ドンへの両替は、今ここで(right now, righthereをやたら強調していた)、どんな通貨でも自分がやってあげる」という。なるほど、彼もこの国境係官という役得を利用した個人両替商だったわけだ。まあ、便利なので、筆者も利用した。手持ちのキープ現金をドンに両替した。米ドルを仲介にしてざっと計算したところ、元気な青年氏がそんなにぼっているわけではなさそうだった。
この時点で筆者の計画は、ディエンビエンフーからサパ→ラオカイ・河口国境→天保国境ゲート→昆明、というルートに変更していた。そのほうがウドムサイに戻ってボーテン国境→景洪→昆明というルートよりも距離・時間の節約になるし、旅程の重複を避けられる。
17:25、Tay Trang国境ゲートをようやく出発。全般にこの国境は効率が悪く、時間を浪費した。ここからディエンビエンフー市街まで34km。バスは概ね下り坂の山道を進む。ベトナム側はかなり大がかりな道路工事だったようで、山の斜面が削られて肌色がむき出しになっている。途中から日が暮れて暗くなり、あたりの様子がよく見えなくなった。運転手の相変わらず性急な運転にもかかわらず、結構難所も多かったようで、ベトナム人乗客の途中下車・荷下ろしなどもあり、ディエンビエンフーのバスターミナルに到着したのは18:30ごろ。客待ちバイクタクシーの男たちがわっと群がってきて、ベトナムに来たことを実感。
ラオスのウドムサイからわずか150km余りの距離を10時間近くかけてディエンビエンフーに着いた。2度のエンスト事件と国境での出入国待ちを除いても6~7時間かかっているので、平均時速は20km/h台だ。Iさんと筆者は宿泊場所を探す気力もなく、言い寄ってきたバスターミナル向かいのHung HaGuesthouse(興河賓館)の呼び込み男が1泊15万ドン(もしくは7米ドル)というので、部屋をチェックすることもなくそこに投宿。4階の404と405号室。部屋は狭く、監獄っぽい造りだが、まあ清潔そう。今度は筆者のほうが表通りに面した部屋でベランダからの眺めがいい。荷物を置いて宿泊登録し、とりあえず、2軒隣りのビアホイ(簡易パブ)へ行き、ビアハノイと牛肉焼きそばを注文(1人5.5万ドン)し、やっと目的地にたどり着いたことにほっとして乾杯。Iさんは今回のバスはさすがにしんどかったようで、ここからラオス側へ引き返すルートについて躊躇している様子。
夕食後、Iさんは町の構造を確認しに散歩に行った。筆者はもう1本ビアハノイとつまみ菓子を調達し、部屋に戻った。シャワーを浴びたら水だった。幸い、ディエンビエンフーは外気がそんなに冷たくないので、急いで水浴びし、ベッドにダウン。