雲南省国境地帯16: ルアンナムタからウドムサイへ |
11月23日、ルアンナムタから南東方向に110kmほどのウドムサイへ移動する。7:25、フロントに降りたら、若い男性スタッフがいて、迎えの車は表通りで待っているという。ソンテウが待っていて、すでに数人乗車している。運転手が荷物を屋根に上げてくれて乗車。乗客の1人が年輩の日本人男性のようだったので、「日本の方ですか」と聞いたらやはりそうだった。そのIさんとはその後、同じルートで数日間旅をすることになる。他に中国語を話すおばさんが2人同乗していて、その1人が少し英語をしゃべるので、出身を聞いたら四川省だという。ルアンパバーンで先生をしているというから中国語を教えているのかもしれない。こうして中国の内陸からもラオスへ機会を求めても来る人がいるのだから、中国の影響力はこれからも大きくなる一方だろう。
さて、ソンテウはゲストハウス密集地でさらに欧米系乗客を5人ほど拾い、満車になってから7:50ごろ発車。15分後、昨日バイクで通り過ぎた長距離バスターミナルに到着。今まで見たことがないほどターミナルは混雑している。ビエンチャン行きVIPバスの大型車をはじめ、景洪行き国際バス、ルアンパバーン行き、フェイサイ行き、そしてウドムサイ行きなど各地向けバスがこの朝の時間帯にほぼ一斉に出発するようで、ラッシュアワーのようだ。ハイシーズンのせいだろう。
Iさんも筆者と同様にバスターミナルまでの送りとセットでウドムサイ行きバスを購入したという。ゲストハウスがソンテウの運転手に客からもらった現金を託し、ターミナルに着いてから運転手が切符窓口で乗客のそれぞれの行き先のチケットを買うという方式だった。つまり、バスの席はその日の朝の早い者勝ちということだった。我々の不幸は、ターミナルに着いたときにはすでに8:30発のウドムサイ行きバス(約20人乗り)は通路の荷物まで満杯だったこと。ゲストハウス密集地を発車するソンテウは我々のが最後尾だったようで、ターミナルに着くのが遅すぎたようだ。Iさんと筆者は運転手に早くチケットを買えとせっつくが、彼は困ったような表情で「Oudomxay,No.1, No.2 bus」(ウドムサイ行きは2便ある)と説明するだけで、窓口へ行こうとしない。8:30に満杯のウドムサイ行きが発車したあと、10分くらいして、同じスペースに確かに第2便の同じ20人乗りバスが入ってきた(写真)。すると運転手がようやく窓口でチケットを購入し、Iさんと筆者に渡した。客が多いから臨時便が出たのかと期待したが、甘かった。Iさんが後で窓口で確認したのだが、我々がターミナルに着いた頃にはすでにウドムサイ行き第1便のチケットは売り切れていて(定員より数割増しの状態でも売り切れたのだろう)、次の便が着くまで発券されない状態だったのだ。運転手のいうNo.2バスというのは、臨時便ではなく、12時発の定時便だった。前日わざわざゲストハウスで1日2便のうちの早いほうを選んでお金を払ったのに、その選択が無意味になったうえ、ターミナルで4時間近く時間をつぶさなくてはならない。運転手に苦情のひとつでも言って謝罪の一言でも取り付けようと思ったら、いつの間にかいなくなっていた。責められるのを避けるため、適当な説明をしておいて、さっさとトンズラしていた。
こういうこともあるので、移動のチケットは自分で窓口で買うのが一番なのだが、ルアンナムタは長距離ターミナルが市街中心から8kmくらい離れていて不便だ。これだけ混んでいることがわかっていれば、前日午後にバイクで通りかかったときに翌日朝のチケットを買っておくのが賢かったが、後の祭り。急ぐスケジュールであれば、ウドムサイ行きチケットの4万キープを捨て、同じ方向のルアンパバーン行きかビエンチャン行きに乗り換えてウドムサイで途中下車するという手もあったが、それほどまでに急ぐ事情ではない。こうなったらせめて写真を撮りやすい席をと、第2列の真ん中で、左右どちらも写真が撮れる席を確保した。
Iさんもちゃっかり助手席に荷物を置いて最も眺めのよい座席を確保した。彼も筆者と同様、タイトなスケジュールを組んでいないようで、ジタバタしていない。その後の道中にうかがったところでは、彼は66歳で引退4年目の「団塊の世代」ど真ん中で、1年に3回ほど、1カ月ずつくらいの放浪の旅に出ているとのこと。今回はバンコク→チェンライは空路で、チェンライ→チェンコーン→フェイサイ→ルアンナムタとバスで乗り継ぎ、一昨日の晩、筆者と1日違いでムアンシンで過ごしてからルアンナムタに戻っていたとのこと。これからウドムサイ→ムアンクアからベトナムへ越境してディエンビエンフー→ラオスへ戻ってムアンクア→(ボートで)ノーンキャウ→ルアンパバーン→サイニャブリー→ケンタオ→タイのルーイ県というルートを辿り、そこからメコン川をジグザグにタイとラオスを往復し、カンボジアへ抜ける予定だという。7月にナコンパノムで会った強烈な先輩オバサンに匹敵する先輩オジサンに出会った。
さて、この朝は曇天で、気温が低いので、バスのなかでラップトップ作業をしながらのんびり待つ。切符売場の横の売店でPringlesのポテトチップ(2万キープ)とビアラオ缶ビール(1万キープ)を調達し、それで朝食兼ランチとする。幸い、胃腸の調子は戻ってきている(と思ったのはのちほど甘かったことがわかる)。
10時ごろからラオス人乗客が積荷を屋根や通路に運びこみ始める。筆者の席も足元もいつ大きな貨物で埋められるかわからないので、なるべく席を離れないようにする。11時ごろにはどんどん客と荷物が入ってきてくる。結局、バスは定刻を待たず、11:45に発車。25人ほどは乗っていたので明らかに過積載だ(写真)。
ルアンナムタの長距離バスターミナルからナトウーイの分岐点まで約30km、そこからウドムサイまでが81km。ターミナルを発車し、昨日バイクで西へ左折した分岐点を過ぎるとすぐに山道へ入り、カーブが多い。トレーラーや大型トラックと頻繁にすれ違う(写真)。沿線にはやはりゴム林が多い。
12:25、ナトウーイの分岐点(写真)で5分ほど停車。ここまでの約30kmで、フェイサイ方面へ向かう15~20台のコンテナトレーラーもしくは大型トラックとすれ違った。昨年9月のときの印象よりもこの南北回廊ルートはさらに物流が増した印象だ。分岐点からウドムサイ→ルアンパバーン→ビエンチャンの13N号線ルートは「中央回廊」と新しく名づけられている。今日はそちらのルートを少し走る形だ。
11時ごろから晴れていて、エアコンなしバスなので停車すると暑く、昆明以来ずっと着用していたジャケットを脱ぐ。ナトウーイの分岐点から13N号線に入り、南東へ向かう。13N号線は路面はスムーズだが、道路幅がやや狭くなり、路肩がほとんどない。しかも急カーブの山道となり、とくに登り道はスピードが出せず、低速車を追い越すのに細心の注意を要する(写真)。
13時前、昆明・万象(ビエンチャン)間を結ぶ大型の国際バスがトイレ停車しているのを見かける(写真)。これが中央回廊を突っ切るバスだ。昆明からビエンチャンまで24~36時間はかかるのではないかと思う。すごい国際バスがあるものだ。
13時すぎ、露天のバナナ売場があるところでトイレ停車。といっても、トイレ施設はないので、バックパッカーのフランス人女性たちも小走りで草むらを探しにいった。筆者のとなりに座っていた、英語が少しできるラオス人青年が、露店から、小さい籠に入った黄色い羽根の小鳥を2羽買ってきた。1万キープだという。自分で飼うのかどうするのかと聞いたら、「I don’t know」との答え。おそらく心優しい青年で、どこかで放してあげるのだろう。(中略)
13時半ごろ、カーブで山側の溝に脱輪している何かのタンクを背負っているトラックを目撃(写真)。やはり難所なのだ。その20分後、山の斜面にへばりつくような村を見る(写真)。沿線にはこうした村が多い。
14時半ごろ、ウドムサイの市街へ入る。右手に「盛昌酒店」、「盛昌家具」、「盛昌超市」という看板が固まって見える。前日ルアンナムタでみた開店したばかりの盛昌超市はここから支店展開したものに違いない。
その5分後、ウドムサイのバスターミナルに到着(写真)。ルアンナムタからは休憩・停車時間を除いて所要時間2時間40分、平均時速42kmhほど。カーブの山道にしては意外に速かった。『歩き方』では4時間、さらに前日泊まったゲストハウスの表示では5時間とあったので、道路インフラが急激に改善したのだろう。
ウドムサイのバスターミナルの規模はルアンナムタとほぼ同じだが、発着するバスの行き先が多様だ。すべてラオ語と中国語が併記。ビエンチャン(万象)、パクベン(巴邦)、ルアンパバーン(琅X拉邦)、ポンサリー(奔沙里)、ムアンクア(盟X)といった北部ラオス各地に加え、景洪やディエンビエンフーへの国際直行便もある。切符売場の女性にいろいろ英語で質問したら、きちんと英語で返ってきたので感心。交通の要衝となり、観光客の往来が激しくなったためだろう。
ディエンビエンフーへの直行便が所要時間7時間というので、当初のウドムサイからラオス最北東部にあるポンサリーを往復するという(片道9時間らしい)計画を変更することにした。Iさんの計画と途中まで同じになる。ポンサリー行きよりも便利であれば、ベトナム国境を越え、かの有名な、フランス軍のインドシナ撤退を決定づける契機となる戦いがあったディエンビエンフーを見に行かないという手はない。
Iさんもバスターミナルで抜かりなく情報収集している様子。「ご迷惑でなければ夕食一緒にどうですか」と声をかけたらOKというので、18時にメインストリート沿いにバスターミナルから300mほどのMuang NueaRestaurantで待ち合わせて別れた。筆者はそのレストランのほぼ向かいにあるLitthavixayGuesthosueを目指した。『歩き方』に無料WiFiがあると書いてあったのが決定要因だ。
15:20ごろゲストハウスに着き、フロントで2泊空きはあるかと聞くと、おばさんが即座に204号室のカギを渡してくれた。1泊7万キープと、前日までのルアンナムタと同じ。ウドムサイは宿泊施設が分散しているので他と比べる余裕もなく、ここに決定。部屋に入ってみると、施設が多少古いが清潔そうで、ベッドも大きく問題なし(写真)。
しばらくしてWiFiのパスワードをもらいにロビーへ下りると、Iさんが入ってくるところだった。彼が先に見に行ったXaysana HotelというところにはWiFiがなかったという。他にもルアンナムタからのバスに同乗していたドイツ人グループ3人も見かけたので、彼らもここにチェックインしたようだ。
それにしてもウドムサイの発展ぶりを初めて肌で感じる。2001年に出張で初めてウドムサイに来たときは、ルアンパバーンからくねくねの赤土道を4輪駆動車で長時間走ってようやく到着し、宿泊施設はトイレ・シャワー共同の相部屋のゲストハウスしかなく、ネズミがベッドを這ってきそうな1泊3ドルのところに泊まった。12年後の今、ウドムサイの町は、さほど見どころはないものの、宿泊施設が予想以上に充実しいて、ちょっとした国際町に大変身している。
向かいのレストランにIさんと一緒に入ると、我々が最初の客らしく、12ほどテーブルがある中で、表通りに面するテラスに座る。Iさんは遠慮深く、筆者に食事の注文を任せられたので、チキン・ラープと豆腐と野菜炒めの2品を注文し、ビールはIさんが普通のビアラオ大瓶、筆者はビアラオダークの小瓶(そしておかわり)を注文。小宴会となる。
いろいろ話すと、Iさんは引退後、最初の2年間くらいは奥さんを連れて旅していたが、奥さんのほうは中級以上のホテルでないとダメ、Iさんはその下のクラスの方が好き、という風に好みが分かれた結果、その後はIさんは一人旅、奥さんのほうはグループツアーを楽しんでおられるという。高校時代は登山部で、雨風の自然の成り行きに従って道中を一人で楽しむ耐性をお持ちのようで、あらゆる乗り物、食べ物、まったく問題ないそうで、バンコクでも普通に路上の屋台に座って食べているとのこと。筆者のような下痢・回復サイクルはないみたいだ。山間部の朝晩の冷え込みに備えて、登山用品屋で売っている、伸縮自在でまるめるとグラス1杯分に納まるような、高価だが日本製の防寒着が便利だという。欧米人バックパッカーも良く知っている連中は日本製を着ているらしい。なるほど、気候の変化に無頓着で痛い目に遭っている筆者とは年季が違う。
ビールの後、ラオラーオ(地元の米焼酎)を2杯ずつ飲んで、22時ごろ、店の家族が奥に引っ込んで就寝態勢に入っていたので、我々も退散。2人分で合計11.5万キープ(約14ドル)と、リーズナブルだった。