北インド19: ガヤーからブッダガヤーへ |
翌10月27日、9時過ぎに目が覚める。とても疲れていたので、うらぶれた宿でも熟睡できた。天気がいいのでホテルの屋上に上がってみると、駅前や街並みの様子が一望できる(写真)。駅の様子から見たところ、カジュラーホーよりは大きいが、大都市ではないと思ったが、後ほど、ガイド氏の説明では、ガヤーが50万都市、ブッダガヤーが20万都市だという。
チェックアウトして、ガヤー駅構内の様子を見に行くと、「地べた寝そべり密度」はこれまで見た他の駅よりも高い(写真)。今朝のこの人達は大半が列車待ちの乗客のようだ。
駅前周辺で朝食をとろうかと思っていたが、雑然としてそんな雰囲気ではない。駅前はトクトクだらけ。ブッダガヤーへ向かうことにし、最初に声を掛けてきた運転手は200ルピーだというが、その横にいる運転手に聞いたら1人なら150ルピーだというので、とっさに最初の運転手が150ルピーで承知した。駅前では客の買い手市場が成立している。
10時ごろ、ガヤー駅前を出発。南に16kmほどのブッダガヤーを目指す。ガヤー市街を抜けるまでは交通量が多く、雑然としている。ゴミと動物の組み合わせはもはやお馴染みの風景。沿線の家屋は全般にみすぼらしく、家よりも家畜のほうが資産価値が高そうに見える。
10:20ごろ、ブッダガヤーへの中間ほどを過ぎると、まわりが田園風景に変わる。牛糞を材料にした固形燃料を作っているのが見える(写真)。左手(東側)にはナイランジャラー川が流れ、沐浴や洗濯など、川の恵みで生活している人々の様子がわかる(写真)。道路沿いに上水道の敷設工事をしていた(写真)。
10時半ごろ、ブッダガヤー(ヒンドウー名はBodh Gaya)の町に入る。ちなみに、のちのガイド氏の説明によると、ガヤーというのはgoneという単語にあたるらしく、この地で覚りを開いたブッダが各地へ説法に出かけた、という語源らしい。
トクトク運転手は、ガヤー方面から南北に延びる通りと、マハーボディー寺院方向の3差路で筆者を降ろす。あとで気付いたが、そこからは世界遺産としての条件なのか、トクトクの侵入が禁止のようだ。そこから歩き出すと、バイクに乗った青年たちが何人も筆者に英語や日本語で声をかけてくる。ゲストハウスのスタッフだったり、押しつけガイドだったりする。ここも観光で成り立っている町のようで、カジュラーホーと同様で、のんびり散策するのが難しそうだ。
マハーボディー寺院のすぐ西の角の、ホテルが数軒集積している区画にたどりつき、冷房の効いたレストランを見つけて入る。昨日の早朝から36時間ほど経って、ようやく落ち着ける空間に入ってほっとする。TathagatHotelという3つ星クラスのホテルに隣接しているレストランだった。朝食メニューのなかから “Taste ofBuddha Land”(150ルピー)という当地ならではのメニューを選んだが、インド料理のコックが留守で出せないと言われたので、アメリカン朝食(175ルピー)を注文。セットの中に乳粥(牛乳のお粥)が出てきた。これがこの地でスジャータが覚りを開く前のシッダルダに食べさせた乳粥か、と思った。これでも十分Taste ofBuddha Landだ。しばらくして、タイの高僧(?)と尼さんを含むタイ人グループがレストランに入ってきた。しゃべり口がソフトなタイ語を聞くとほっとする。立地がいいせいか、昼ごろになるとどんどん客が入ってくる。
1時間半ほど長居させてもらって12:20ごろ、レストランを出て、宿泊場所探し。まずはこのレストラン隣接のTathagatHotelのフロントで、シングルルームの部屋代を聞くと2000ルピー(4000円弱)というので、部屋を見せてもらう。そんなに広くないが、表通りに面するバルコニーがあって、清潔そうで悪くない。そのあと、スタッフがホテルの裏側のサービスアパートメントや新しい地下の食堂など、結構広い敷地内のツアーしてくれた。あと数軒見てから決めたいので、いったん外へ出る。
そのあと、流暢な日本語をしゃべる、アソカと名乗る小柄なおじさん(のちほどの話では40歳で13歳の娘と7歳の息子がいて、まだ子供をつくる気があるとのこと)につかまった。その辺りのゲストハウスを根城に観光客相手に日銭を稼いでいる感じ。ややアグレッシブだが、そこそこ知性が感じられ(あとでわかるが、ブッダガヤー郊外にあるマガダ大学に通った時期に日本語を学習したそうだ)、そんなに悪い人間ではなさそうなので、彼のリードで宿を探す。エアコンとWiFiが必要条件で、さきほどのTathgat Hotelでは1泊1500ルピーなので(本当は2000ルピーだったが嘘をつき)、それより快適で条件が良くなければTathgatに決める、と伝えた。まず両替所探しているというと、近くのOM Restaurantという食堂の受付に連れて行かれ、1万円=6150ルピーで両替した。デリーの怪しい両替商と変わらないレートで、悪くない。次に、その隣のJyotiGuesthouseを見せてもらったが、WiFiがないのでやめる。次に、さらに隣の3つ星クラスのMahayanaというホテルを見る。客を見かけずガランとしている。1800ルピーの部屋を見せてもらったが、ベッドが小さく、古い感じなのでやめた。最後はTathgat ホテルから300mくらい北西に歩いたところの、隣が空地でまだ開発中と思われる地帯のまだオープンして1年目のOMInternational Hotelを見る。さきほどの食堂のオーナーが建てたホテルのようだ。設備も部屋も新しく、機能的で、1泊1300ルピーというので、ここに決める(写真)。ここまでのインドの旅でコストパフォーマンスは最も高そうだ。窓の外を見ると、空地があり、スクワッターらしき家族が生活している(写真)。持てる者と持たざる者が隣り合っている極端な図だと感じる。ここに歩いてくる前の路地にも物乞いがたくさんいた(写真)。
両替とホテル探しの手伝いをしてくれたところまでは良心的だと思われるアソカ氏に、この日の午後と翌日の案内を頼むことにした。