北インド16: バナラシその3 |
10月24日、12時半頃、Bengali Tola通りから東側のガートへ抜ける路地を探して試行錯誤していると、ムンシー・ガートMunsi Ghatへ抜けられた(写真)。そこで手漕ぎボートの運転手につかまった。歩き回るのに疲れ、川からガートを眺めてもいいと思っていたので、話に乗った。1時間800ルピーというから、500ルピーなら払うと言ったら、600ルピーをオファーしてきた。流れが結構速そうなガンガーでの手漕ぎは大変な肉体労働だというのはわかるので、まあいいか、とOKした。彼の名前はRajといい、「No cheating」だぞと念を押して握手した。
ムンシー・ガートから、まずガンガーを南方向(上流)へ漕いでいく。流れに逆らっているのでRaj君はきつそう(写真)。ダルバンガーDarbhanga、ラナ・マハルRana Mahal、チャウサティーChausathi、ディグパティヤーDigpatiya、コーリーKhori、パーンデーPandey、とガートを右手に見ながら過ぎる。この辺りにKumikoPaying Guesthouse(ゲストハウスの名前にわざわざpayingが入っているのは、修行僧のための無料ゲストハウスもあるから、それと区別するためのようだ)があり、ボートから良く見えるように、川側に面する壁に「久美子の家」と派手に日本語で(剥げかかっているが)ペイントしてある(写真)。そこからは昨日歩いたラージャーRaja、ナーラドNarad、マーナサローワルManasarowar、クシェーメーシュワルKshemeshwar、チョウキーChaukiと過ぎ、さらにケーダールKedar、ヴィジャヤナガラムVijayanagaram、ラーリーLaliと過ぎて、火葬場のあるハリシュチャンドラHarishchandraのガートの正面に到達する。沐浴や洗濯の風景はボートからのほうがよく見える(写真)。ただし、小さいガートがたくさんあるので、すべての名前をはっきり確認できない。
ボートからは火葬場の遠景が撮れる(写真)。火葬代は野外が5000~1万ルピー(1~2万円弱)もするらしく、お金がない遺族は、共同ボイラー室で一緒に焼いてもらって1000ルピー(2000円弱)くらいだという。ボートで近づくと、遺体を燃やした残り(骨が中心だと思う)を川に放り込む箇所あたりで、鍋で川底をすくっている連中がいる。Raj君の話だと、遺体についているかもしれない金歯や宝飾品などを探しているらしい。ゲッと思うような生業だ。
Raj君はここでUターンして、今朝下りられなかったもう1つの火葬場、マニカルニカー・ガートへ向かう。今度は上流から下流なので、流れに身をまかせるだけでも自然に流されていく。今朝見たアハリヤー・バーイーAhalya Bai、シータラーShitaral、プラヤーグPrayag、ダシャーシュワメードDashashwamedh、ラージェンドラ・プラサードRajendraPrasad、マーンマンディルManmandir、トリプラバイラヴィーTripurabhairavi、ミールMeer、プーターPhuta、ラリターLalita、バーウリーBhawli、ジャルサーイーJarlasi、そしてマニカルニカーManikarnikaとう順に過ぎて行った。このときもボートからすべてのガートを確認するのは難しかった。ともあれ、目標のマニカルニカー・ガートでの火葬場風景を遠くから撮影できた(写真)。
Raji君は再びUターンして出発地点のムンシー・ガートまで、再び流れに逆らって必死でオールを漕ぐ。最後はチャウサティー・ガートで降ろしてもらい、握手をして別れる。
そこから、再びBengali Tola通りに戻り、南へ歩き、Shiva Café& German Bakeryという、欧米風のレストランに入る。客がたくさん入っていて人気がありそう。店員の多くが日本人に近い風貌だと思ったら、ネパール人のスタッフが多いようだ。SpanishMushroom Burger (100ルピー)、ソーダ水(25ルピー)、そしてマサラチャイ(25ルピー)で締めくくる。バーガーにはサラダとフレンチフライがついていたので、良心的な価格設定だ。
14時半ごろホテルへ戻り、部屋の冷房を強くして一服。
15時半ごろ、ロビーにいた、前日チェックインの時に世話してくれた男性スタッフに、郊外の見どころを案内してくれないかと聞くと、今日は時間が遅すぎるので、代わりに夕方、中心部のガートで行われるプージャーという礼拝儀式の見学はどうかというから、その案内を頼んだ。ガイド料は2時間ほど、500ルピーで合意した。
17時すぎ、そのスタッフ氏と歩いて出発。ケーダール・ガート(南端から25番目)へ行く。薄暗いトンネルのような通路を抜けると、かなり幅の広いガートが目の前にあった(写真)。そこでスタッフ氏の知り合いの1人と思われるボート・オーナーとボート代を交渉。800ルピーというから、夕方で涼しいし、歩いても行ける距離なので、500ルピーしか払わないというと、交渉が決裂した。ホテルスタッフ氏に、ボートは煩わしいから歩いてプージャーが行われるガートまで行こうと言ったら、彼自身が歩くのをいやがり、携帯電話で、500ルピーで手を打つボート運転手を何とか調達した。こちらが交渉決裂しても問題ないという余裕のある立場にあるときは強い。
18時前、ケーダール・ガートから我々の乗った手漕ぎボートは下流へ流されるようにして進み、10分後にはアハリヤー・バーイー・ガートの斜め向かいあたりに到着した。すでに正面の位置は他の多数の観光ボートで埋まっていた(写真)。明るい照明装置のなかでガート上に設置された舞台で、最初は3人ほどの歌と楽器演奏があり、次に5人ほどの高僧(?)による火が付いた燭台を使った儀式が繰り広げられた(写真)。1時間ほど鑑賞したが、儀式の一挙手一投足を理解することができず、結構退屈だなあと感じていた。それでも次から次へとボートでやってくる観客の多さからは、すごいイベントなのだということはわかる。チャイ売りがボートからボートへと飛び移って紅茶を売っていた。
18:45ごろ、ホテルスタッフ氏が、「あとはマントラ(お経)を唱えるだけだからもう引き返していいよね」と水を向けたので、OKした。ボート運転手は今度は上流に向けて、えっちらこっちら必死で漕ぐ。昼間のRaj君に比べれば、太陽が降り注いでいない分、多少楽なはずだ。我々の横をエンジン付きボートがどんどん追い抜いて行くが、バナラシではエンジン付きよりも手漕ぎのほうが似合っていると思う。
19時すぎにケーダール・ガートに着き、ボート運転手にお礼を言って500ルピーを渡し、ホテルスタッフ氏に、『歩き方』で目星をつけていて、ホテルの近くにあるはずの日本人がオーナーというイーバ・カフェI:ba Caféへ送ってくれと頼む。すでに真っ暗な道中を彼がペンライトで足元を照らしつつ、ホテルを通り過ぎ、少し南へいった角を西へ右折し、ほんの100mほどの地点にイーバ・カフェがあった。内装がきれいで、メニューにはいろんな日本料理が並んでいて感激。そのなかの冷やし中華(275ルピー)とレモンソーダ(60ルピー)を注文。玄関にオーナーの著書が置いてあった。早稲田大学文学部出身の杉本昭男という人で、『インドで暮らす、働く、結婚する』というタイトルの本のサンプルを店内用に閲覧でき(写真)、新しいコピーを900ルピーで販売していた。90年代に、(筆者が翌日見学するつもりの)バナラシ・ヒンドウー大学に留学してヒンドウー学の修士号を持っているらしい。いろんなひどい病気を経験しながらも、ガンガーを平気で泳ぐという強者のようだ。ともあれ、インドの脂っこい料理からお休みしたかったので、冷やし中華は助かった。このレストランがホテルから至近距離にあったのはありがたい偶然だった。