東西回廊ほか4: ラックサーオからナムパオ・カオチュオ国境を越えてビンへ |
7月26日、6:40ごろ目が覚める。寝つくときに体がかゆかったので、蟻かシラミが少しいたような気がする。7時ごろ、前の晩も食べたOnly One Restaurantへ朝食に出かける。夜かなり雨が降ったようで、地面がぬかるんでいる。まだ小雨が降っている。レストランには12~3人のフランス人観光客グループが食べている。そういえば、前の晩、夕食時に彼らのリーダーらしき男性とガイドが2人で、テラスのテーブルに座って何か打ち合わせをしていたので、グループの朝食の相談をしていたのだろう。
彼らが食べているビュッフェ(といっても目玉焼き、バケット、インスタントコーヒー、お茶程度のシンプルなもの)のラインが残っているので、店のご主人はビュッフェにすれば2.5万キープだと筆者に勧める。メニューを見ると、気が利いたセットがないので、勧めに従いビュッフェにする。デザートにランブータンをつけてくれた。のちほど、そのランブータンの食べ残しに小さい蟻の大群がやってきた。雨期にはこうなるのだ、とご主人は笑う。
朝は雨がずっと降り続きそうな空模様。部屋に戻ってもデスクがないので、このまま午前中はレストランで粘る。窓から入る外気もちょうどいい気温。
10:40、ヌードル・サラダ(2.5万キープ)を注文。ベトナムへの国際バスが12時発なので早めの腹ごしらえだ。ヌードル・サラダというのはヤムウーセンのことで唐辛子がたっぷり入っていて首から上が火事となった。おいしいが半分少ししか食べられなかった。
11:15ごろ、雨が上がって空が少し明るくなったのでホテルに戻る。チェックアウト後、バスターミナルまで、道路が赤土をかぶってぬかるんでいるので、荷物はほぼ担いだまま歩く。日差しはないが、汗をかく。雨期のこういう環境では、コロ付きケースより、多少重くてもバックパックが有利だ。
バスターミナルに着き、チケット売り場の前日と同じおじさんに、ビン行きはどのバスかと聞くと、今発車しようとしている韓国製小型バス(ボディにハングル文字の表示がある)を指して、あれだと言い、チケット(12万キープ)を発行してくれた。筆者が乗り込むと同時に発車。しかし、22~23人乗りなのに乗客3人でスタート。いやな予感がしたが、案の定、バスは客を拾って回る。国道8号線をパクサン方向へ引き返したと思ったら、信号の交差点の角にある屋根資材店で停車。その店の男性が乗客の1人で、店のスレート板をたくさんバスの屋根に積み込む(写真)。乗客の1人が手伝う。
12:10、積み込み作業が終わって再発車。しかし、まだ乗客は4人。またバスターミナルに戻り、客待ち。11時台に焦って乗り込む必要はまったくなかった。ベトナム人乗客(カーキ色のヘルメット型帽子をもっているのでわかる)4人が乗り込んできた。彼らはすでに自分たちの荷物をバスに積み込んでいたようで、無駄な時間を待たない術を知っていた。第3国人乗客は筆者だけ。いつ発車するのか読めない。小雨が降っているのでじっと待つしかない。
12:45、乗客が12人ほどになってようやくバスターミナルを発車。ところがまだ満車に程遠いので、市街と郊外をウロウロする。車掌の女性が携帯電話をかけまくって乗客を募っているようだ。その30分後、乗客が30人近くなって、補助席と通路が一杯になってようやく町の外へ走り出す。筆者が乗り込んでから100分待たされた。
ナムパーオ国境まで32kmという標識がある。最初のうちは盆地状の地形で稲作地帯を見かけるが、そのうち登り道のカーブが多くなる(写真)。
14時前、ナムパーオ国境ゲートに着く。乗客は全員降りて出国手続きのために正面のイミグレビルへ向かう。ゲート手前にはミニバスやマイクロバスがたくさん停車している(写真)。ベトナムからラオスへ観光に来ていたと思われるベトナム人達がゲート前で記念撮影している。第3国人はごくわずかの印象。筆者も一通り写真を撮ったあと、イミグレビルに入り、出国手続きをする。ラオス人・ベトナム人が入り乱れて、相当混んでいる。窓口に係員が3人いるが、混んでいるわりには列をつくるような工夫をしていないので、我れ先に皆が群がるからイライラする。それでも何とか出国スタンプを押してもらう。
ラオス国境ゲートとベトナム国境ゲートは約500m離れているが、乗客の何人かが、バスが通過待ちする間に、中立地帯へ歩いていくのを見て、筆者もそうする。少し起伏のある上り坂を登り始めると、ベトナム側からは大型トラックがやってくる(写真)。右手にDao Heuang Duty Free Shop (NamPhao)という看板のある建物があるが、中は空っぽで営業していない様子。その先へ歩くと橋がある。これがNam Phao(パーオ川)なのだろう。
写真を撮りながら歩いているうちに、バスが坂道で追いつき追い越して行った。かなり先に停車したので乗客たちの何人かは走っていく。筆者もそうする。停車した左手にはナムパーオ方向を見下ろす展望スペースがある。ここが中立地帯の中間点のようで、その先はベトナム側の管轄だと思うが、道路拡幅・舗装工事中で歩くのには適していない(写真)。皆、バスに乗ったところで、ベトナム側国境ゲートへ移動。
10分ほどでカオチュオCao Treoのゲート手前に到着。ここでもベトナム側からラオス側へ向かう大型トラックを見た。乗客は再び全員降りて、ベトナム入国手続きの窓口へ向かう。下車地点でベトナム係官がパスポートもしくは一時パスをチェックされたうえで、イミグレビルへ150mほど歩く。ベトナムの入国審査も窓口に3人ほど係官がいるが、ラオス人・ベトナム人入り乱れて窓口へ群がっていて混沌としている。なかには10も20もパスポートをまとめて窓口へ差し出す連中がいて(緑色のパスポートでベトナム人だろう)、筆者のような押しの弱い個人旅行者はどんどん順番を追い越される。結局窓口の列がまばらになった状態になって、筆者のパスポートに入国スタンプが押される。意味不明の手数料2万ドン(1ドル)を払う。辺境手数料とかの理屈があるのだろうが、国境係官たちの共同基金にでもなるのだろう。
ベトナム側のゲート付近とイミグレビルで写真を5~6枚撮ったのだが、窓口の混沌とした様子の撮っているのを係員に見られたらしく、建物のなかから1人が出てきて筆者のカメラを見せろと要求され、中立地帯以降の写真を削除させられた。笑顔で対応したが、イミグレの混沌状況がなければ、こういう結果にならなかったのに。
14:40ごろ、筆者が最後にバスに乗り込むと、バスは満杯(写真)。国境に着くまで座っていた席は奪われており、補助席を使わざるを得なかった。しかも車掌がその椅子の半分くらいに座り込んでくる。周りをむさ苦しい男連中に挟まれて、息苦しい。
カオチュオ国境からビンまで約99km。国境からは下り坂のカーブが続く。道路幅も狭いので、低速車が前を走っているとなかなか追い越せない。ラオス側よりもベトナム側のほうが交通量が多い。
15時半ごろ、左右に揺られながら、国境から23km地点で最初の町Tay Sanを通過。しかし、ここで車掌の女性がカオチュオ国境税関に誰かの荷物が置き去りになっているという電話をもらったらしい。他の乗客に(おそらくベトナム語で)確認したあと、それは筆者の荷物だということがわかり、周りの乗客が「お前の荷物はどこだ」と筆者にジェスチャーで聞く。ラックサーオを発つときには後部のスペースに置いていたので、そこだと指を指すと、そこには別の乗客が寝込んでいて、知らないよ、というジェスチャー。悪夢だ。要するに、バスがベトナム側の税関に着いたときに、誰か(ベトナム人係官か、運転手か、車掌か、あるいは乗客の誰か)が筆者の荷物を降ろし、X線装置(その存在はあとになって知った)に通し、そのあと放りっぱなしになったということだ。筆者はそうした作業が行われている最中、あの混沌とした入国審査の窓口でイライラしながら待っていたので、荷物をモニターする余裕などなかったし、最後になったので急いでバスに乗り込んだ。国際バスにすでに何度か乗ったが、ドライバーからも車掌からも警告なしに勝手に荷物を降ろされたうえ、放置されたのは初めてだった。経験値が足りなかった。
とにかく荷物を取りに国境へ戻らなければならない。筆者を降ろすためにバスが停車した。車掌の女性が最低限の誠意を見せ、近くでハイヤーをアレンジしてくれ、国境まで往復で30万ドン(15ドル)だという。そもそもラックサーオで乗車した筆者を外国人だと認識していた彼女が、荷物が引きずりおろされることについて警告してくれくれればよかったのに。
頭が半分パニックのなか、ハイヤー(ダイハツTeriosという4WD車)で国境へ引き返す。運転手はかなり飛ばす。こっちも気持ちが焦っているので飛ばしてくれるのはありがたい。荷物が無事かという不安と闘いながら、せっかくの専用車なので、山道の写真を撮る。途中で水力発電の送水管と思われる景色を見た。国境近くのカーブではがけ崩れで危うく道路がふさがれそうになっている箇所がある(写真)。
16:20、カオチュオ国境ゲートに到着(写真)。向かって左側の出口近くにX線設備があり、そこで自分の荷物はどこかと聞くが、英語がほとんど通じないのでジェスチャーでアピールすると、隣のオフィスを指され、そこで遺失物扱いとして保管されていたことがわかった。彼らの目の前で、鍵を掛けていなかった荷物を開けて中身を確認する。貴重品はマネーベルトに入れで身に着けていたので、荷物のなかの金目のものはラップトップと携帯電話くらいだったが、大丈夫だった。
15分後、ハイヤーでまた国境から山道を降りる。17:10ごろ、Tay Sanの町に到着するが、筆者が戻るまでバスが待っているはずもなく、案の定、消えていた。ここからは自力更生。この状況で、宿泊施設もなさそうな町で、このままハイヤーの運転手に世話になる以外のオプションは思いつかない。運転手は英語がほとんど通じず、「Hanoi?」とか聞くので、長距離を走って荒稼ぎしたいようだ。Vinhまでいくらかと聞くと、財布から10万ドン札を8枚取り出す。80万ドン(40ドル)だ。さきほどの国境往復代を含めて計110万ドン(55ドル)になるが、この際仕方ない。ドンの現金がないので、100ドル札を見せると、たまたますぐ近くにあった「金行」(正規の銀行ではなく金製アクセサリーを売る商店)に筆者を案内し、両替してもらった。100ドル=202万ドン。その場で運転手に110万ドン支払う。
Tay Sanの町を改めて出発。運転手は飛ばせるところはぎりぎりで飛ばす。17時半すぎ、Pho Chauの町通過。ロータリーがあり、そこを左折する方向に「ホーチミンルート」(国道21号線)が見える。8号線のここから、国道1号線との分岐点Hong Linhまでの37kmのうち、大半が舗装がひどく傷んだボコボコ道で、あちこち工事中なのが走行困難に輪をかける(写真)。南北を貫く1号線のバイパスとしてのホーチミンルートへ至るこの区間が過積載車両に乱用されて傷んだのではないか。ところどころ補修済の区間もあるが、大半は未補修の悪路か、補修工事中。工事中の区間で横転しているトレーラーを見た。(中略)
18時半すぎ、ようやくHong Linh市街に着く。市街の途中で左折し、バイパス経由で国道1号線に合流。交通量が急に増える。舗装状況はまあまあだが、交通量が多いので、追い越しが難しく、せいぜい40kmhくらいしかスピードを出せない。
19時ごろ、ヴィン市へ入る料金所を通過。大きな川を渡る。運転手がベトナム語で、ヴィンのどこに行けばいいのか、というふうに聞いているようなので、翌日の移動の便を考えて、バスターミナル(Ben Xe)で降ろしてくれと頼んだ。
10分ほどでヴィン・バスターミナル(Ben Xe Vinh)に到着。ラオスと比べると、ベトナムのバスターミナルは立派(写真)。電光掲示のついたバスが10代ほど停まっている。
空腹かつヘトヘトで、近くに見えたホテルらしき高層ビルまで荷物を引いて5~6分歩く。幸い勘があたり、Thuong Hai – Vinh Hotelという3つ星ホテルだった。客の出入りが多い。フロントで部屋はあるかと聞いたら、1泊80万ドン(40ドル)のVIPルームしか空いてないという。もっと安い部屋でいいと言うが、ここしか空いていないと言い張る。外国人に高い部屋を押し付けようとしているに違いないのだが、疲れていて交渉する気力がないので、OKする。402号室に入ると、スイート部屋になっていて、手前が応接間になっている。1人で泊まるにはまったく無駄だ。寝室も広すぎるくらい。
夕食はホテルで食べると割高そうなので、外出してレストランを探したが、見つからない。ホテルすぐ前の歩道にフォー屋台が出ていたので、今晩はそれにする。チキン米麺のフォーの麺をおかわりし、生温い缶ビールを飲んで合計4.5万ドン(2ドル強)。ようやく落ち着いた。
この日の教訓(そして6月のシーパンドーンもそうだった)は、ローシーズンに地元の人達に混じって短・中距離の公共バスに乗るのはいろんな面倒とリスクが伴うということだ。とくにラオスは人口密度が低く、輸送需要が読めないので、その分、輸送手段の供給も安定しない。ビエンチャンの市街を出発して一気に国境を超えるようなミニバスもしくは長距離バスを利用すれば、地元の人達の(外国人からみると)理解不能な都合に振り回される要素は少なくなるだろう。