中央回廊ほか1: バンコクからナコーンラチャシマへ |
2013年7月6~22日、バンコクからタイ東北部を北上し、ビエンチャンからルアンパバーンへ至る「中央回廊」に加えてシェンクワンを回った旅程について報告する。
7月6日、再びバンコクの北バスターミナル(モーチット・マイ)から出発。ターミナル2階の東北方面行きバスのチケット売り場にはすごい数のブースが並び、大半がタイ語だけの表記で読めない。聞いて回ると49と50番ブースにだけ「NakhonRatchasima」と英語表記があった。東北地方の各都市へ多数のバス会社が運行しているわけではなく、行き先別にある程度棲み分けして過当競争にならない工夫をしているのかもしれない。10時発車のチケットを220バーツで購入。バスは32乗りくらいの中型だが、足元のスペースが広く、荷物を自分の前に置いても余裕がある。
ほぼ定刻どおりに発車。乗車率は8割程度。アユタヤ方向へしばらくは北へ向かう。ドンムアン空港(主に国内線用)を通過し、高架のハイウェイに乗ったと思ったら、すぐ降りた。アユタヤ市内に入ると、片側3車線に加え、側道2車線が加わり、道路は広い。
11時前、北東方向に折れてサラブリー(Saraburi)方向へ進み始めると、田んぼが少し見え始める。徐々に田園風景が優勢になるものの、多くの事業所が沿線に立地している。日系の日立物流の倉庫、シチズンの工場、地場企業ではサイアム・セメントの工場や、アグリビジネス大手のCP Foodsの工場が見える(写真)。(中略)
12時前、サラブリーから北西のロッブリー方面と北東のナコーンラチャシマ方面への分岐点を通過し、国道2号線をナコーンラチャシマ方面へ進む。
だんだんコーラート高原(といっても標高は100~200mらしいので涼しくはない)に向かってゆるやかな上り坂を走る。右手に道路沿いの高さ20mはありそうな仏像を見る。続いてNationalSports Training Centerという広い敷地のスポーツ施設が見える。徐々に緑が増え始め、沿線では一村一品(One Tambon,One Product, OTOP)の土産物売り場や、地元の工芸品売場などがときどき見られる。(中略)
14時前、ナコーンラチャシマ市街地の境界を示すと思われるアーチをくぐる。すると、日系各自動車メーカーの販売店、TESCO Lotus(英系量販店)、Big C(仏系量販店)など、バンコク郊外でもおなじみの店舗が見え始める。
14時過ぎ、ナコーンラチャシマ市街の北3kmほどにある新しそうなバスターミナルに到着(写真)。イサーン(東北地方)の最大都市にふさわしい印象。道中で「Bangkok –Ratchasima」とボディに書いたバスと何台もすれ違った。それだけ2都市間で人の移動が激しい、重要な幹線道路だというころだろう。
バスで隣に座ったおばさんが英語で話かけてきたので、多少会話を交わした。彼女はナコーンラチャシマ出身で帰省するところだが、バンコクでビジネスを立ち上げて成功し、コンドミニアムを買ったそうだ。20年前、1度だけ日本へ行ったことがあるが、当時Avon社のタイ現地販売員の仕事をしていて、日本へ研修に行ったのだという。その当時のバンコクの空の玄関であったドンムアン空港と比べて成田空港は大きいと思ったが、今ではスワナプーン空港が成田よりはるかに大きい、といった話になった。
トクトクを拾ってネット予約していたDusitPrincess Korat Hotel(1泊1880バーツ=約6000円)へ。トクトク代は事前交渉で100バーツ。20分くらいかかった。(中略)4つ星ホテルで部屋は広く、施設が新しいので満足。ホテルのレストランで遅いランチを食べ、夕方まで一休み。
18時半頃、街にナイトバザールがあるようなので、出かける。ホテルからダウンタウンまで3kmほどあるので、玄関のポーターにトクトクを呼んでもらい、町の中心にあるターオ・スラナーリー(通称ヤー・モー)像まで行ってもらう。運賃は80バーツ。像の周りのタイル地の広場はローラーブレード場と化していて、若者と子供が練習に励んでいる(写真)。(中略)
ナイトバザールは旧市街にあり、ヤー・モー像から1kmくらい歩く。東西に走るチョムボーン通りとマハータイ通りに挟まれた南北200mほどの距離に、規模は大きくないが露店が並んでいて、地元の人々でなかなか賑わっている(写真)。規模は小さいがチェンライのナイトバザールと同じくらいか。ただし、ナイトバザール以外の区画は薄暗く、外食するなら新市街のほうがよさそう。そう思って新市街へ歩いて戻ろうとしたときにスコールが始まり、歩くのが困難。幸いこの街にはトクトクが多いので、客待ちしていたトクトクをつかまえ、ホテルに戻る。何とかずぶ濡れになるのは避けられた。夕食はホテル内のベーカリーでパンを買って済ませた。
翌日の朝は寝坊し、9時ごろ1階の中華レストランでビュッフェの朝食。プールが見える窓際のテーブルに座る。部屋数が170くらいある大きなホテルだが、部屋代をディスカウントしているのか、比較的混みあっている。メニューは豊富で、エスプレッソマシンで新鮮なコーヒーが飲めたのはうれしかった。しかしこのホテルの難点は中心地から離れていることで、散策には不便。
11時ごろ、フロントでトクトクを呼んでもらうのもいいが、待つのが面倒なので、ホテルが面するSuranarai通り(写真)をダウンタウン方向へ歩く。しかし、流しのトクトクやバイクタクシーの姿はない。そのまま南西へ2km以上、汗をかきながら歩くと旧市街に突き当あたる。左手にナコーンラチャシマ工科大学やナコーンラチャシマ・ラジャパット大学を通り過ぎる。学生がソンテウで通学している(写真)。(中略)
旧市街の寺院を2つみてから新市街へと歩く。ポンセーン門をくぐってお堀を南へ横切り、2ブロックほど歩くとWat PhraNaraiに着く(途中に日本の公文のフランチャイズ塾の看板があった)。そこの境内は広く、中庭にはよくできた子象の像がある。その寺院にいる間にスコールが降りだし、雨宿りしていたら、幸い15分ほどで降りやんだ。(中略)
公園通りへ突き当たってから北へ2ブロック歩くと、Wat Phayapの入り口に着く。その途中には参拝グッズを売る商店が並ぶ。人気僧(?)の説教が収録されたと思われるDVDの特売ワゴンまである(写真)。Wat Phayap門を東へ入り、50mほど歩くと、左手に立派な本殿があり、右手には「Amazing Cave」と宣伝した看板がある。その矢印に従って進むと、普通の平屋建ての小屋の中に洞窟っぽく天井から鍾乳石が垂れ下がっていてその奥に仏像が奉られているではないか(写真)。『歩き方』によると、「各地から集めた石や鍾乳石を壁や天井一面に張り付けて洞窟のようにしつらえた神秘的な雰囲気の部屋で、僧侶や在家信者の瞑想などに使われている」らしい。凝り性もここまで来ると感心。(中略)
13時近くになり、汗だくかつ空腹になり、涼しそうなレストランがあればどこでも入るつもりでSuranari通りをさらに西へ歩くと、500mほど後の左手に「George &Dragon」というレストランバーがあり、そこへ入る。エアコンはないが、奥で大きいファンをフル回転させているのでまあ涼しい。Spicy ChickenPasta (200バーツ)とシンハービール大瓶(100バーツ)を注文。店内の客の会話が自然に聞こえてくる。年配男性のうちの1人はアメリカ人で引退した年金生活者。若い女子2人は、地元で英語教師をやっているアメリカ人のよう。ビリヤードをやっていた若い男子1人と女子3人は国籍がわからないが、英語が達者なので欧米圏から来たバックパッカーのよう。(中略)
14時ごろレストランを出て、さらに西へ1km少し歩くと、ナコーンラチャシマ鉄道駅に着く。駅の前庭には蒸気機関車が保存展示されているのだが、多色のペンキで塗り直しているので、いまひとつ歴史が感じられない(写真)。一方、駅舎からプラットフォームに入ると、タイミングよく入ってきた現役のディーゼル列車の客車は非常に古く、表面がところどころ剥げ落ちていて趣がある(写真)。
次に、郊外にある「パノム・ワン遺跡Prasat HinWat Phanom Wan」というクメール寺院跡を見にいく。駅舎の外で客待ちしていたトクトクのお兄さんの1人に往復でいくらかと聞いたら500バーツという。市街から20kmくらい離れているようなので仕方ないかと思いOKする。お兄さんは突然の上客にうれしそう。
鉄道駅から出発して北へ抜け道を通り、Mittraphap通りに突き当たってから交差点を強引に右折。昨日左折した長距離バス通り(これが市街のバイパスの国道2号線)をひたすら北東に進む。バス、トラック、乗用車などの高速車両に混じってトクトクはブルブルと震えながら疾走し、パノム・ワン遺跡に到着。『歩き方』の紹介では「規模は比較的大きく修復もされているので見応えがある」ということだが、せいぜい40m×60mの長方形の敷地に、形跡が残っているのは本殿の一部のみで、いまひとつ(写真)。見学は30分足らずで切り上げ、15時半過ぎ、トクトク運転手に、ホテルまで戻ってもらった。(後略)