南部回廊ほか8: コンポンチャムからラタナキリ(バンルン)へ |
翌6月18日、6時前に目覚める。川沿いの遊歩道(写真)には、昨日も見た、暇そうな警官のおじさん達がたむろしている。7時過ぎ、ホテルには朝食が付いていないので、すぐ左隣にあるSmileRestaurantという老舗そうなレストランに入る。筆者のあとから、米国からのガール・スカウトか何かと思われる若い女子20人くらいの集団がバスで乗り付けてきた。リーダーらしき女性がグループに何やら指示を出すと、全員一斉にビュッフェ方式の朝食の列をつくった(写真)。こんな静かなところに突然華やかな集団が現れたので驚いた。
朝食後、河岸通りをキズナ橋の方向に歩き、西へ折れてナーガ像まで歩き、そこから北へ折れてコンポンチャム・マーケットまで、約2kmを歩いた。河岸通りは地元の人たちがくつろぐ雰囲気が伝わった。土手のある箇所ではおじさんたちが砂場に鉄球を投げてお互いに当てて飛ばす、フランスから伝わったペタングという競技に興じていた(写真)。マーケットまで歩くと、まだ朝食を食べている人が多い。生鮮品売り場では川で獲れたナマズなども売っている(写真)。
昨日バスで着いたソリア社のチケット売り場で、クラチェ行きのバスの時間を聞くと、10:30と14:00の2本だけだというので、10:30のチケットを5ドルで購入し、郊外の寺院見学は諦めた。
ホテルに戻ってチェックアウトし、バス停に戻ると10人ほどバックパッカーを含む乗客が待っている。10:10ごろ、立て続けに2台のバスが到着し、そのうちの1台がラタナキリ行きだった。これが朝7時にプノンペンを出発してコンポンチャムとクラチェ経由でラタナキリへ向かうバスだ。他にバスが見当たらないのでこのラタナキリ行きに乗ってクラチェで降りればよいと思い、乗り込む。チケットに書かれている指定席の20番は空席だったので間違いない。
バスは定刻より10分ほど早く、ほぼ満席で発車。幸い筆者の隣が空席だったので、そちらの足元に置けて助かった。10:40ごろ、7号線に入ってキズナ橋を渡る(写真)。スムーズに走行。片側1車線だが路肩が広いので追い越しも問題ない。この部分も日本の無償援助で1999年に完成したものだが、ほとんど傷んでいない。左右は田園風景(写真)。
11時前、隣に5~6歳くらいの男の子(写真)連れの太っちょのおばさんが乗車して筆者の隣に座った。荷物を自分の足元にずらさなければならないので、また窮屈になる。地元の長距離バスに安く乗っているのだから文句は言えない。その男の子は筆者に興味津々で、おばさんも愛想がよかったのだが、問題は数時間後にクラチェで起こった一件だった。
11時半ごろ、バスは7号線から北方向へ左折して73号線に入る。以前入手していたカンボジアの道路地図によると、この地点からクラチェまで92km。片側1車線で、路肩が狭いが、交通量が少ないので、追い越しの際の見通しはいい。路面は傷んでいる箇所を補修した跡が多く、振動が伝わるが、バスは構わず60~70kmhでとばす。クラチェの手前25km地点のChhuloungという町でメコン川沿いに突き当たり、北上する(写真)。
13時ごろ、クラチェの河岸通りに到着。対岸へのフェリー乗り場の前でバスが一時停車して、近くの商店に向けて何やら荷卸しをしている。なぜか乗客の誰ひとりとして降りない。それでも地図で確認して、この地点から、目星をつけていたクラチェのホテルが200mほどで、ここで降りるのがベストなので、隣のおばさんに「ここで降りたいから席をどいてくれ」と手でジェスチャーしたのだが、おばさんは「ここでは降りられない」という趣旨の両手でT字マークをつくった。ここは降車地点ではないと言っているのだと筆者は解釈した。どこか郊外に専用のバス停があって、そこまで乗っていなければならないのだと思い、おとなしくしていた。それが大きな間違いだった。そのうちバス停があるだろうと行儀よくしている間に、バスは河岸通りを過ぎ、東へ折れ、7号線を左折し、北上し始めた。もう7~8kmは過ぎてしまったので、バス亭はがないことは明らかだった。さっき一時停車した場所がクラチェのバス停だったに違いない。
ここにきて隣のおばさんに腹がたち、英語でやや声を荒げて「クラチェは過ぎたのか。このバスは今どこへ行くのか」と聞いたら「ラタナキリまで200kmはあるよ」と意外に上手な英語が返ってきた。「こっちはクラチェで降りたかったのに、お前が席をどかないからこんなことになったのだ」という趣旨の英語をぶつけると、おばさんは笑いながら、その隣のおばさんに筆者の境遇を伝え始めた。頭にきて「Not funny」と声を荒げたら「I’m sorry」とようやく笑うのをやめた。こちらは道路地図とくびっ付きで行く手を確認しながらいたのに、おばさんは全く呑気なものだった。
13:45ごろ、クラチェを過ぎて10kmほどのドライブインみたいな休憩所でランチ休憩。どうせならクラチェの街中でランチ休憩してくれればいいのに、おそらくバス会社か運転手とリベート関係のある休憩所にしか停まらないのであろう。動揺したまま、野菜炒め、もやし炒め、Cambodia缶ビール合計13,000リエル(約3ドル)を注文。クラチェまで戻ろうにも休憩所にトクトクもバイクタクシーも見当たらない。無理して引き返すよりも、開き直って流れにまかせ、クラチェ宿泊と川イルカ見学をあきらめ、そのままラタナキリまで行ってしまうことに決めた。
ランチ休憩後、北へ向かう7号線は非常に痛みが激しく、舗装がはがれて穴だらけの箇所が多く(写真)、バスは頻繁にスローダウンを繰り返した。おそらく、過積載の車両が舗装をこわして穴をつくり、その穴に雨水がしみて雨期のスコールがその周りの舗装を洗い流したのであろう。この区間は中国が援助して2007年に完成したはずなので、6年間のあいだにここまで傷んだのだとすれば、工事が手抜きだったのかと疑ってしまう。(中略)
クラチェからの120kmほどを激しく揺られながら2時間半ほどで、Ou Pong Muonという町に着いてトイレ休憩。ここが7号線とストウントレンから東方向のラタナキリへ向かう78号線の分岐点(写真)。
15分後に再発車し、78号線をひたすら東へ走る。ラタナキリ州の中心地バンルンBang Lungまでの123kmの区間は、これも中国の援助で2012年に新しく舗装された。まだ新しいだけに路面はスムーズで路肩もまあまあ広い。交通量も少ないので、制限速度60kmhのところ、バスは70~80kmhでとばす。この区間は全行程でゴム園が目立つ(写真)。中国資本なのかベトナム資本なのか、あるいはその両方か。ゴム園のために、他の原生林(?)を焼いて整地しているような風景も見た。(中略)
17:50、バンルン郊外3km地点のバスターミナルに到着(写真)。トクトクを拾い、『歩き方』で目星をつけていた、バンルン市内中心部で立地のいいTribalGuesthouse(写真)に15分ほどで着く。運賃2ドル。エアコンとホットシャワーのある12ドルの部屋を見せてもらう。設備は古いが部屋は清潔そう。隣に居心地よさそうなレストランもあるので問題ない。ところが、入った部屋のトイレと洗面台が両方とも破損していることに気づき、フロントで誰かに直してくれるよう頼む。結局最初に入った部屋の水回りは修理不能で、別の部屋に荷物を移してくれた。
夕食は隣のTribalRestaurantに入り、ピザ(7ドル、大きすぎて半分少ししか食べられなかった)とアンコールビール大瓶(2ドル)を注文。その後白ワイン(2.5ドル)を追加。部屋代と夕食代が同じになってしまう。チェックインのときにレストランでWiFi利用可と聞いていたのに、つながらない。フロントの女性の説明では、WiFi配信会社に電話したところ、夕方大雨が降ったせいでバンルン一帯でWiFiへのアクセスができないのだという。翌朝6時にはつながるだろうとのこと。