ミャンマー再訪8: ネピドー |
ネピドーではミャンマー政府の計画・経済開発省のアドバイザーをしている、コンサルタントのA氏(カナダ国籍)を午後に訪問する約束があったので、ホテルのフロントから電話するが、通じない。ダメもとで直接訪問することにした。タクシーが表通りを流しているような通常の都市環境ではないので、フロントでタクシーを呼んでもらう。交通量の極端に少ない広い道路を飛ばして(写真)、同省に15分ほどで到着。
ホテルゾーンと官庁ゾーンは10kmくらい離れているので、運賃はK8,000(約9ドル)。しかも、各役所間の距離もかなり離れていて、公務員たちの間でも不便だろうが、官庁めぐりの必要がある援助ビジネス関係者は1日車を借り切るしかないだろう。日本のタクシー代を思えばたいしたことはないが、これまでミャンマーの都市部でタクシーを利用したなかでは、ネピドーが最も移動が不便でタクシー代が高くつく。
ともあれ、A氏も知らなかったのだが、5月24日は国民の祝日で、役所は休日出勤者以外だれもいない。入り口のセキュリティの人に、A氏の名刺を見せて、この人に会いに来たのだが、と伝えると、入り口に近い1階のオフィスへ案内された。そこではA氏ではなく、日本人らしき顔を見て驚いた。「日本の方ですか」と聞くと、向こうも驚いて、とりあえず名刺交換とご挨拶。JICA専門家で、この4月に赴任されたばかりのK氏との偶然の面談となった。飛び込みにもかかわらず、休日出勤の合間に丁寧に対応していただいた。(中略)K氏はジャンクション・センターというショッピングビルの隣にあるジャンクション・ホテルに住んでいるという。ネピドーに駐在する日本人としては、丸紅のA氏ともう1人に続く3人目だとのこと。もう1人、柔道の専門家が、東南アジアゲームに備えてか、柔道指導で6か月間来ているという。
1時間ほどK氏と面談のあと、ホテルへ戻りたいが、足がないので、来るときに利用したタクシーの運転手からもらっていた名刺を役所のセキュリティに見せ、電話して迎えにきてもらう。帰りはジャンクション・センター(写真)へ送ってもらう。運賃はK7,000。前日ヤンゴンで見たジャンクション・スクウェアの姉妹施設のようで、中身は似ている(写真)。冷房に浸りにくる人も多いのであろう、かなりの混雑。酒類を調達し、客待ちのタクシーをつかまえ、K3,000でホテルへ戻る。
ホテルで夕食を食べながら家族へskypeしているうちにA氏からメールが入り、訪問中の奥さんを交えて会食しているから彼が泊まっているThingahaHotelへ来ないか、とのこと。またフロントでタクシーを呼んでもらい、運賃は3000K。ネピドーではこうしてタクシー代がかさむ。
20時少し前、A氏に会うことができた。彼の奥さんはカナダ国際開発庁(CIDA)出身で、援助の話は共通のトピック。翌日からの土・日は夫妻でバガン観光だという。その後月曜日からはA氏は大臣との濃密な会議が待っているそうだ。会食の話題はミャンマーの現状、将来、役所のスタッフの頼もしい気質(上下関係をあまり気にせず、意見をぶつけあうという)、タイの政治経済についての不安など、多岐に渡った。A氏がネピドーで知り合ったという、元世界銀行スタッフで日本人のO氏が同席していた。O氏も計画・経済開発省のアドバイザーをしており、さきほどお会いしたK氏と同じ領域で主にドナー調整のアドバイスを需要に応じてされているという。お仕事の経験からネパールやエチオピアでの駐在経験などの話にも及んだ。会食がお開きになったあと、O氏がご親切にも筆者のホテルまで、借り上げ車で送ってくれた。
翌日、8時半ごろレストランでビュッフェ朝食。客のほとんどが外国人で、メニューは欧米風。エッグ・スタンドもある。ありがたかったのはコーヒーがインスタントではなかったこと。レストランのドアを開けると中庭の見晴しがいい。少し散歩しようかと思っていたところ、9時にピックアップに来てくれる約束をしていた、2日前にヤンゴンで会ったAungさんが、自家用車のトヨタ・ビッツで迎えに来てくれた。そのまま助手席に乗り込み、彼のYezin 農業大学を目指す。ホテルゾーンから官庁街へ20分ほど、さらに東へ折れて20分ほど走り、ウッパタサンティ・パヤー[ヤンゴンのシュウェダゴンパヤーのレプリカ]を左手に見ながら、片側5~7車線の滑走路のような道路を進む(写真)。しばらくして左へ折れると、英領時代に造られた元幹線道路(といっても片側1車線の並木道)を走る(写真)。そのうちYezin Agricultural University(右手側)とUniversity ofForest(左手側)の2つの大学のキャンパスへ至るゲートをくぐる。キャンパス入り口の導入路を工事中。労働集約的な工事の様子(写真)。(中略)
大学の会議棟で、学長はじめAungさんの同僚6人ほどが勢ぞろいした恐縮する2時間ほどの面談のあと、Aungさんの運転で、筆者が助手席、2人の女性研究者が後部座席に座り、道中の会話のお供をしてくれた。少し回り道をして、上述のウッパタサンティ・パヤーを経由して運転してくれた。ヤンゴンにあるシュウェダゴン・パゴダのレプリカで、エレベータのある塔から仏塔までの中空廊下までがそっくりだ(写真)。12時半にはホテルに着き、Aungさんには丁重にお礼を言い、お別れした。
部屋で少し休み、タクシーで出発。すぐ右手にThingahaHotelがあり、その入り口に安倍首相夫妻の写真入りの赤い看板が「We warmlywelcome his excellency Mr. Shinzo Abe, Prime Minister of Japan, and Mrs. AkieAbe」とうたっていた(写真)。日本からの訪問団がこの日の夜ネピドーに着いて、翌日、テインセイン大統領を官邸に訪問するという偶然のタイミングだった。交差点のロータリーには両国の国旗が飾られていた(写真)。
さて、外出の目的地は宝石博物館(Gem Museum)で、ホテルゾーンから4kmの位置にある(写真)。入館料はミャンマー人がK1,000(1ドル強)に対し、外国人は5ドルと差別されている。博物館の1階は即売店で2階が展示室。もちろん撮影禁止。ダイヤモンド、金、ルビー、サファイヤ、トパーズ、翡翠、その他、名前を良く知らない宝石の原石から、加工石、アクセサリーまで、広い館内に全部で60~80ほどガラスケースがあり、宝石の種類ごとにきれいに飾ってある。客は筆者ともう1組くらいしかおらず、館員が1対1でケースからケースへ歩き、照明をつけたり消したりして説明してくれた。宝石の産地はマンダレー管区のモゴックMogokのものが多かった。このモゴックはマンダレー管区の北のはずれの部分だが、不自然にシャン州領土に侵食しているような境界線になっており、ビルマ族と少数民族との希少資源争奪が背景にあったのではないかと想像する。前日会ったK氏が、一度は見る価値があると言っていたが、たしかに、消化不良になるほどの展示の量だ。筆者にとっては「豚に真珠」の宝石類をいくら見ていてもあまりピンとこないので、展示物の半分ほども見ないうちに30分ほどで切り上げた。
次は国会議事堂。議事堂の前の道路は脅威の20車線(片側10車線)(写真)。ただし、ここの部分はさほど距離が長くなく、国威誇示の行進用なのであろう。一方、ウッパタサンティ・パヤー方向に延びる14車線の道路は数キロにわたってまっすぐ伸びているので、緊急の軍事用滑走路として十分機能しそうだ。(後略)