カレン族村へ |
3月15日、この日の目標はパドウン首長(くびなが)カレン族の村を2か所訪問すること。1か所はメーホンソン市街から北西34km地点のBan Nai Soi (ナイソイ村)で、そこには首長カレン族村とともに、ミャンマーの難民キャンプがあることを事前にネットで調べていた。もう1か所は、メーホンソン市街から南西に約25kmで、観光地図によるとここもパドウン・カレン族の村と、さらにその先がミャンマーとの国境となっているBan Nam Piangdin。
8時半ごろ、ホテルをバイクで北西方向へ出発。行く道が複雑でわかりにくく、ゆっくり走りながら、迷ったら住民にダメ元で英語で聞きながら進んだ。幸いなことに、“Long Neck”という英字と首長族女性のイラストが入ったグレーの標識が曲がるべき角ごとに立っていて、それさえ見逃さずにいけば、大丈夫だった。道中ほとんどはアスファルトかコンクリートの舗装道路で前日ほど起伏も激しくなく、走行に問題なかったが、主要道路からそれて舗装がなくなってから、最後の1kmほどが雨期に轍の凸凹ができ、石ころの埋まった乾いた砂利道で、難儀した(写真)。雨期であれば前日の国境付近と同様、通過困難であろうと想像する。村までの距離が事前にわからないため、何回か諦めそうになったが、途中でのどかな地元農家のニンニク収穫作業を見ながら何とかBan Nai Soiの入り口(行き止まり)にたどり着いた(写真)。向かって左手がパドウン・カレン族の村で、右手が木製のバーで遮断されている難民キャンプだった。
村のゲート前で写真を撮っていると、中高年のバイク2人組がやってきたのに遭遇した。日本語で会話をしているのに気づき、思わず「日本の方ですか」と声をかけたところ、2人は70歳前後のタイで出会った日本人シニアのご友人。筆者もかなり苦労してバイクでここへたどり着いたので、お二人の体力に感心。1人(Oさん)はメーホンソンで年金1人暮らし、もう1人(Mさん)はチェンマイで奥さんとチェンマイに冬季の4か月ほどシャトル滞在するという。MさんがOさんを訪ね、こうしてツーリングしていたところだった。
カレン族村に3人で一緒に入村。入り口の小屋で入村料1人250バーツを払う。村をひと回りすると敷地はせいぜい数百メートル四方程度で、ざっと20世帯くらいか。Oさんによれば、以前の賑わいと比べて家族の数が激減しているという。若い世代の人たちは何らかの仕事がありそうな隣の難民キャンプへ移住したり、外国へ移住したりしているのだろうという。ちょっとした土産物雑貨や織物を製作して売っているようだが、その収入だけでは現代生活は無理であろう。入村料収入とあるいは政府から補助を受けているものと推測する。さらにOさんによると、メーホンソンはしばらく前までは「朝霧とロングネックの都(街)」と言われていたが、現在の首長族は数が極端に減り魅力が無くなっているという。今はわざわざメーホンソンまで行かなくてもチェンマイに首長族のキャンプが出来てしまっていて、チェンマイからお手軽なツアーに参加できるという。
トレードマークの真鍮リングは手作りで、輪の半分ずつを首にかけてから溶接してつなぐようで、束ねて5kgにはなるという(写真)。伝説ではトラに襲われて首を噛まれないようにする護身の目的がことの始めだとか。
村で見かけるのはほとんどが中年以上の女性で、働き盛りの男性は数人程度しか見かけなかった。男性は家具作りやホウキづくりなどをしていた。女性はもっぱら土産物売りの出店に詰めて土産物を売ったり観光客との写真撮影に応じたりているが、商売気はなく、観光ずれしているという印象はない。民族衣装を着ていない女性が数人いて、マホガニーの木の葉っぱを紡いで木製家屋の屋根の材料をつくっていた(写真)。Oさんによれば、1綴り3バーツくらいで売れるという。
子供たちは観光業とは無関係で、Tシャツ姿で小さい円錐形のコマを相手のコマにぶつけてはじき出すというような遊びをしていて、屈託がない(写真)。Oさんが英語の達者な若い独身女性を見つけて、聞くと学校の先生だという(写真)。ミャンマーのカレン族居住地から、おそらく民族のネットワークで赴任したのであろう。生徒45人に英語、数学、カレン語、理科、地理など7科目を教えているという。村には先生が10人いるという。それにしても、村の奥に質素なつくりの学校の建物と狭い校庭はあるが、夏休みなのか、学校にはだれもいない。学校はいつやっているのか聞けばよかったが、ボーっとして聞くのを忘れた。
1時間半ほどで村の見るべきものが尽きた感じで、3人とも入口へ戻った。途中で欧米系観光客3人組と、日本人と思われるバックパッカー男性1人とすれ違った。
隣の難民キャンプに入れればもっと興味深い視察ができたと思うが、Oさんが入り口の警官に聞いたところ、NGO関係者以外はだめだと言われたという。少し古い(2007年)資料によると、この難民キャンプは1995年に設立され、人口約2万人で大多数はカヤ州から来ているという。
ナイソイ村を11時半ごろ出発し、3人のツーリングでメーホンソン市街へ戻った。結構飛ばす先輩たちに最後尾から懸命について行った。途中の古いつり橋(新しい橋ができて、今は使用されていない)のところで記念撮影(写真)。乾季で露出している川底では地元のボーイスカウト(もしくは小学校の課外活動?)が何やら研修中だった。13:00ごろ、Oさん家に到着(写真)。
見たところ40m2ほどの1戸建て。家賃は月2500バーツ、電気代や水道代はせいぜい月に数百バーツだというから、多くの日本人が引退ライフを送るタイのなかでも物価が非常に安い。しかしその分不便そうだ。お二人の推測によれば、日本人在住者はメーホンソンではせいぜい3人程度、チェンライでは250~300人、チェンマイでは冬季のパートタイム滞在者を含めて3000人くらいということ。
Oさんのご厚意に甘え、冷えたLeoビール、地元のマーケットで買ったという保存がきく納豆の辛し和えのつまみ、さらにOさん手製のトンカツとごはん(餅米が混ぜてやわらかい)、さらにはスイカまで、すっかりごちそうになった。Oさんはおしゃべりしながらも奥の台所と往復し、揚げ粉をまぶして冷凍しておいたカツを3人分要領よく揚げたり、スイカを切ったり、頭も体もよく切れる人だ。日本から訪れる若者にもいろいろ出会い、こうしてごはんを振る舞うのも慣れているとおっしゃる。日本で買ったパソコンと周辺機器を持ち込み、パラボラアンテナをつけてスカイプなどもこなしている。その精神力と体力に敬服。
14時ごろ、一旦ホテルにもどって一息ついたあと、15:20ごろもう1つの目標であるBanNam Piangdinを目指す。アスファルト舗装の真新しい108号線(小型バイクで70kmh出しても問題ないほどスムーズな表面)を南へ10kmほど走り、同村のサインが見えたとろで右折し、西方へ。1kmほど行くと、二股に分かれる(写真)。Ban Nam Piangdinへ行くのに、Piangdin川をボートで遡る渡し場まで3km(“Boat visit to Longneck”という英字付き)というサインが右方向を指しているが、筆者は最後までバイクなので、「16km 云々(タイ語)」と書いている左方向の矢印に従う。ここからは山間を縫った川沿いのくねくね道で、起伏が激しくカーブも多い。すれ違う車輛が皆無に近いので不安になりながらも川沿いを先へ進む。15:50ごろ、右手 に突然“The way to see Kayan LongNeck of Huay Pu Keng Village”というサインを見た。川側から見るとたしかに村がある(写真)が、日が落ちる前に街へ帰りたいのと、砂利道の悪路が想像されたので、ここを見るのはあきらめ、先に国境があることを信じて急いだ。
16:00すぎにNam Piangdin村と思われるせいぜい10世帯未満の集落を過ぎると道が突然終わる。市街から約25kmか。その終点の右手に、Piangdin川を渡す吊り橋がみえ、その入り口に「Nay phi dow 199km、Doi kow 77km…」などと、ミャンマーへの案内を書いた標識がある。近くで洗濯していた商店の女性に片言のタイ語と身振り手振りで聞くと、どうやらこの吊り橋を渡って向こう側がチェックポイントで、さらにそこから2km先がミャンマーとの国境だという。ところがこの吊り橋はせいぜい60~70cmの幅しかなく、金属の骨組みの隙間から下が丸見えで、高所恐怖症でなくても怖い(写真)。しかも歩くたびに橋全体がゆっさゆっさと揺れるので、手摺もないし、歩いて渡るのはとても無理。ところが、さきほどの女性は「バイクで渡って大丈夫」と説明するので、地元住民は日常的にここをバイクで渡っているのだと思い、挑戦。車輪が木板の中央部分からはみださないよう恐る恐る前進。しかしノロノロ運転ではかえってバランスがとれないので、ある程度スピードを出す。100m弱だったと思うが、無事向こう岸に着いたときはほっとした。そこからさらに西へ、これまた50cm幅のバイク道を進み、小川の向こうに警察の詰所らしき小屋があり、橋を渡った勇猛さでそのままぐんぐんバイクで侵入する。ところが、その小屋の手前に出たところで急に若い兵士(迷彩色Tシャツの胸にInfantryとあった)が現れて制止された(写真)。
言葉は通じないものの、引き返せというジェスチャー。もう少しで国境ゲートなのであろうが、さすがに諦めて引き返す。この2日後にチョーンカム湖畔のレストランで見つけたNam Piangdin観光の地図によると、筆者が制止されたチェックポイントがタイ側では陸路の終点だが、ボートならそのまま進むことができ、川沿いの中立地帯に免税店が1か所と、さらにはミャンマー側に入れば免税店が3か所もあるようだ。ミャンマー側には奇岩や洞窟の見学ポイントもあるようで、ボートツアーに参加すれば、おそらく検問なしで物理的にミャンマー領土に入って帰れるのであろう。
さて、また吊り橋をバイクで渡って戻るが、今度は少し自信がついてスピードをややあげて(速度計は見る余裕がなかったが、30kmhぐらいか)簡単に渡った。村民の子供たちが通りで遊んでいたのでカメラを向けるとピースのポーズ。16:10ごろ一路帰途へ。16:50ごろにはホテルに着いた。