3古都めぐり |
翌3月22日はマンダレーの南西方向10~20kmに点在し、マンダレー以前に王都があったアマラプラ、ザガイン、インワの3か所を回った。ホテル近くにたむろしているタクシー運転手らしき男性たちに声をかけると、そのうちの1人の青年が中古の日産ピックアップトラック(エアコンなし)で1日3.5万チャットで案内してくれることになった。年齢を聞き損ねたが、独身だという。キンマ(コショウ科の木)の葉でビンロウジ(betel nut)を巻いたもの噛み続けているため、噛んで出てくる赤い汁で彼の口の中は歯と歯の間が茶色に染まっている(写真)。
ちなみにこの「キンマ葉巻」はインドから東南アジアにかけて昔から普及していたものらしいが、ミャンマーではタバコがまだ高価なためか、これが男性一般に最も人気のある安価な嗜好品のようだ。ミャンマーのどこの街でも最低数ブロックごとにこの「キンマ葉巻」屋のブースが立っていて、日本のジュース自動販売機レベルの多さだと思う。口の中に爽快感をもたらし、そこそこの覚醒効果があるのかもしれない。しかし、彼らが路上にはきだす唾液は真っ赤で、まるで鮮血のように見えるので、何かとわかるまでは不思議だった。
さて、屈託のないドライバー青年だが、商売は大変かと聞くと、車は他人から借りていて、タクシー料金の70%をその所有者に上納し、わずか30%が自分の取り分だという。ガソリン代とメンテナンス代は所有者の負担だが、毎日どこをどう走ったか、所有者に詳細なレポートを提出しなければならないのだという。
3古都めぐりはドライバー青年の判断にしたがい、まずはアマラプラへ行く。160年近く前にチーク材で造られた全長1.2kmのウー・ベイン橋の近くで降ろされ、対岸へ橋を渡る。地元客と観光客が入り乱れ、入口は混雑している(写真)。橋の中間ほどまで行くと人がばらけて歩きやすくなる。観光客の多くは「完歩」せずに途中で引き返しているみたいだ。タウンタマン湖に架かる橋だが、乾期のため湖底が現れ、畑作、牧畜、鴨飼い業などの姿が見られた(写真)。
ウー・ベイン橋を渡った対岸にあるKyauktawgyi Phayaを見てから折り返し、再び橋を渡ってドライバー青年と落ち合う。合計で4kmほどの結構な散歩となった。次はMahagandhayon Kyaung(アハーガンダーヨン僧院)へ向かう。10時ごろから托鉢から戻ってきた僧侶が整然と行進してくる。その左右に外国人観光客がずらっと並んで花道をつくっている(写真)。高僧と思われるグループ→青年僧→子供僧の順番に僧院へ入っていき、10時半ごろに一斉にその日に1度(のはず)の食事を始める(水はもちろんその後も飲めるのだろう)。その姿を観光客が外から「激写」する。毎朝この時間帯に繰り広げられる光景なのだろう。
次はアマラプラから南西へ走り、立派な新インワ橋を西方向へ渡りザガインへ(写真)。寺院や仏塔が点在するザガインヒルの頂上からはエーヤワディ川が望める(写真)。多数の小高い尾根に参道が築かれ、それぞれの頂上に仏塔がそびえるという光景が、その後のミャンマーの各地でも見られる光景だった。
最後はインワの旧王都跡へ。ドライバー青年は気を遣ってくれ、帰りは鉄道と道路を共有する旧インワ橋からエーヤワディ川を東へ渡った(写真)。こちらのほうが歴史を感じさせて有難味がある。その橋を渡ったあと、南方向へ並木道を2kmほど走ったところでエーヤワディ川の支流であるミンッゲー川に突き当たる。ここが一般乗用車の行き止まりで、ドライバー青年に「そこの舟で対岸のインワを適当に見てここに返ってきて」という(写真)。かつては都が置かれた場所がこんな不便なところにあるのかと驚く。ともあれ、言われた通り小さい舟に乗り(渡し船代は往復で1000チャット)、ほんの5分で対岸に着くと、『地球の歩き方』に書いてあるとおり、馬車が並んで待っている。歩いて回れないようなので、おとなしく一番前の馬車に乗る。舟に同乗した女性2人と一緒になった。東南アジアのバックパッカーは欧州人が多い印象(長期休暇を取りやすい社会慣行と関係があるのだと思う)だが、彼女らはアメリカの西海岸から来たのだという。1人は白人で1人は東洋系だった。ときどき写真撮影を頼まれたが、もちろん笑顔で応じたのは言うまでもない。何の変哲もない農村を馬車でゆっくりと回るのだが(写真)、そのところどころに旧城壁跡や僧院が残っている。最も興味深かったのは1822年に建てられたという高さ27mの監視塔で(写真)、1838年の大地震で傾いているのだが、それでも頂上まで登れ、見下ろす景色はまあまあだった。1時間半ほどで馬車巡りが終了し、渡し舟で対岸へ戻り、ドライバー青年と合流した。ホテルへの途中でマンダレー市中心部から南へ約5kmのMaha Muni Phayaに立ち寄った。参拝者がとても多く、本堂の大きな仏像は金箔で燦然と輝いていたが、このころには暑さで鑑賞意欲は尽きており、早くホテル近辺でレストランに入ってビールを飲みたい気持ちであった。暑期の東南アジアで日中に欲張っていろいろ見て回ろうとするのはかなりきつい。